グリッドマンとダイナゼノンとユニバースを見た
グリッドマンとダイナゼノンとユニバースを見たので、その感想です。
それぞれの項目でそれぞれの作品のネタバレが多少あります。
SSSS.GRIDMAN
BGMがほとんどなく学校の音などを使った空気感や説明的でない?自然な台詞などは多くの方が指摘していることだが、やはり良いなと思う。
特に宝多六花の喋りや雰囲気は良い。キャラとしての役割というかストーリー上での行動は割と聖人みたいな感じで、決して現実っぽいとは言えない(他人を軽んじるアカネとの対比ではあるのだが、浮浪児であるアンチに食事を与えたり家に連れ帰って風呂に入れるのは少なくとも現実の自然な女子高生とは到底言えないだろう)が、表面的にはやはり現実の人間の喋りや受け答えをしていて透き通った立体感がある。
はっすのキャラデザというかマスクはコロナ禍以前にちゃんと見ていたら、もっと異質な感じして良かっただろうなと思う。はっすについて検索していたら面白いブログ記事があったので貼っておきます。
話はけっこうメタな感じで、ラストシーンがああいう形になるのはちょっと驚いた。(アカネとの結末はEDである程度予告されていたけども)一回きりのマジックを潔く見せられたというか、真正面から斬られたというか、そういう感じで気持ち良い。
新世紀中学生の唐突さと軽やかなギャグはかなり良い(キャリバーがいちいち入り口に刀をぶつけたり、ボラーがグリッドマンにツッコんだり、マックスがお金を出す時の「全員でいくぞ!」とかヴィットの「俺のことか?」は笑った)。あとアレクシス・ケリブの喋る時に点滅する口部や、アノシラス2代目の笑い方が好き(ダイナゼノンでもちゃんとあの声で笑う)
後半にかけて重圧を溜め込んでいくアカネとアンチは良い。特に9話のアカネの夢の話は良くて、ヒーロー側である三人がアカネの夢を打ち破るのは予定調和であり、それによってアカネが絶望を溜め込んでいく辺りで、裕太側からアカネ側に完全に物語の主体が反転する感じがある。夢の中の夏の墓場のシーンも良いですね。
総じて主人公側のキャラはかなりシンプルな作りになっていて、正義は勝つという予定調和の中で裕太たちを見る目はある程度ほ~んみたいな感じになってしまうのだが、反面アカネとアンチは視聴者には(話として)魅力的に映ったんじゃないかと思う。アカネを救うのは六花の純粋な気持ちだけど、その裏にはアンチの健気さもあるんだよなと思う。とにかく男の子はニセモノが本物に変わる瞬間が好きなんだよね。
SSSS.DYNAZENON
実はダイナゼノンはグリッドマンより先に見ていて、ダイナゼノンを見ようと思ったのは南夢芽の今風の気合いの入ったキャラデザに惹かれたのと、ダイナウィングを操作してる画像が話題になっていたから。
これだけでもう十分に面白い。
個人的に作品としてはダイナゼノンよりグリッドマンの方が面白いと思うしよく出来てると思うのだが、ダイナゼノンには何とも言い尽くせない魅力がある。
グリッドマンは極論すれば、「友達がいればどんな困難を乗り越えられる」という命題で一点突破する話だ。またキャラクターもアカネ以外は裕太に限らず全員過去(因縁などの文脈)をほぼ持たないキャラなので、シンプルで重みがない。こう言うと悪く聞こえるが、むしろそこがグリッドマンの良いところで、キャラがシンプルだからこそ純粋な命題を貫徹できるパワーを持つ。そのおかげでギャグも軽々しいカラッとした感触があって好きだ。
一方でダイナゼノンは個々のキャラに文脈や過去がべっとり付いている。ダイナゼノンはグリッドマンの命題や結末をさらに進めた話をやっている。「友達がいたとしても」とか「むしろ繋がりは鬱陶しいのでは?」みたいなことをやっている。友達がいても現実に自分が抱える問題の強固さ・巨大さ・茫漠さには敵わないし、そうした問題には最終的に一人で考えて立ち向かうべきだったりする。また、繋がりがある人はいるけど上手くいってなかったり、友達と呼べる人はいてもお互いにある程度の一線を引いていたりする(そしてそれが実際心地良い関係を作っている)。これは極めて現実的な態度だ。だからグリッドマンに較べてダイナゼノンのキャラクターはグッと現実寄りになり、リアリティが上がる。
グリッドマンでのアカネは苦悩を抱えるが故に怪獣を作り出す能力を持っているが、ダイナゼノンの世界ではその力は全ての住人に分散されていて、全員が一定の複雑さを持つ。怪獣使いたちは人間の感情が作り出した(自然発生した)怪獣を利用するだけである。そういう意味で怪獣使いの立ち位置はアレクシス・ケリブに近い。しかし怪獣使いたちもまた部分的には人間のような存在で、それぞれに執着や葛藤を抱えている。ダイナゼノンでの物語の主軸は完全に主人公たち側にあり、怪獣使いたちが掘り下げられることはあまりなく、その所為かグリッドマンより悪役キャラとしての魅力がいまいちではある。怪獣自体もそれぞれの特性を説明されることはないし、(怪獣たちの為の世界を作りたいとか言ってる割に)怪獣使いたちは怪獣に思い入れがあるようにあまり見えないし、ただなんとなく戦っているように見える。これは意図して作ってあるんだろうが、なんかちょっと変な空気である。
そして主人公側の陣営もそれは同じで、蓬は最初バイトを優先するし、暦は仕事だと思ってやるし、夢芽はよく分からないが、言われたからやっているように見える(ただ夢芽に関しては姉の事もあってか怪獣出現による人々の死に敏感に反応しているようにも見える)。ガウマも当初は姫との事は他のメンバーに黙っている。ダイナゼノンのキャラは皆ロボットに乗ったり怪獣を操ったりするものの、どこかその対象自体を見ていない。彼らは個々人に考えるべきことがあり、全然別の目的意識を持っている。怪獣やロボットは(結果論として)そうした自己実現のための道具ではあるのだが、蓬たちも怪獣優生思想たちもその道具に対して半信半疑である。
そうした複雑なキャラを反映してか、ダイナゼノンはあまりギャグが面白くない気がする。プール回やラウンドワン回はたしかに面白いのだが、どこか歯切れの悪さがある気がする。比較的キャラが単純なガウマやオニジャがその役目を負うのだが、どこかパワー不足な感もある。個人的にやはりグリッドマンで新世紀中学生がやってたギャグの方がカラッとしてて面白い。
ただ、ダイナゼノンには南夢芽さんがいる。2話で夢芽が学校を出ていきなりダイナウィングを出すくだりはギャグとしてかなり面白い(蓬も「えぇ~~……」みたいな反応をする)(夢芽自身は真面目にやってる)。こういうギャグはグリッドマンの方ではあまり出てこなかったものだろう。「なんとかビーム」もそうだ。
とにかく、南夢芽である。ダイナゼノンは南夢芽である。男子を呼び出しては待ち合わせの約束をすっぽかす、ちょっと変なダウナー系ヒロイン。南夢芽は"運命の女"であり、完全にやっていってる女である。ダイナゼノンは彼女の魅力を中心にして回っている。
気怠げで、会話の時はテンポが読みにくく、下手するとちょっと怒っているように見え、取りつくしまがない。こちらから話しかけても反応が薄い鉄壁のミステリアス美少女。たまに小声で歌を口ずさんだり、知恵の輪をチャラチャラいじっていたりする。そしておそらく自分の見た目が良く、それが異性に対して有効に働くことをある程度理解している女。4話の蓬曰く「いやあ、俺じゃ難しいだろ、あの感じ……」(夢芽の「私はどうかしてるんだよ」という言葉を回想しながら)である。とはいえ、夢芽も親友の鳴衣の前でははしゃいだり笑ったりしてくだけた感じになる。そこもまた魅力的である。(南夢芽に鳴衣という親友が設定されているのは、新条アカネとの差別化だろうし、作品が扱う問題の差異化だろう。飛鳥川ちせに暦という相棒がいるのもそうだ)
南夢芽の魅力については、下記のサイトの文章がなるほどなあという感じだった。(上半身担当と下半身担当ってなんだよ)
南夢芽はよく分からないキャラだ。奇行はあるけど自分で認識していて、それでいてそんなに恥じていない様子でもある(自己嫌悪もそれほど強くないように思える)。集団行動は苦手でも服装や生活はきちんとしていて、ある程度自己完結した自律したキャラにも見える。もちろん、姉の死とそれによる家庭内不和により人間不信になっていることは間違いないが……。
男子を呼び出してその度に約束を破るのは自分の話を聞いてもらいたいから(そして話す勇気がないから)という理由があり、約束を破るという行為(≒姉が自分を定期演奏会に誘っておいて死んだこと)にも意味がある。夢芽は姉を理解しようとして、姉と同じように約束を破る。有象無象の男子はその対象に選ばれただけに過ぎない(まあ女子相手にやるよりは良いのかもしれない)。
蓬と親しくなって以降は他人(≒蓬)を頼ることを覚えて、ちょっとポンコツ化していく感じもあるが、元々こういう人間だったのかもしれない。そうして最終話のアレがある。南さん係————こうして南夢芽の話は終わる。
そして飛鳥川ちせである。夢芽からは自己嫌悪をあまり感じないと言ったが、ちせは違う。同じ社会不適合者であっても、ちせは蓬たちに向かって「みなさんと違って器用じゃないんで」と自己卑下する。社会だけでなく自分にも原因があると思っているからゴルドバーンで学校を破壊しないし、自分の腕に描いたパターンアートをアームカバーで隠している。
夢芽は人間不信という大きな問題を抱えており自分のことでいっぱいいっぱいであるが、それは同時に自分の視線が自分にばかり向いていることを意味するし、(ちせと比較して)客観性が薄いというかちょっと不思議系少女の要素があるというか、その点はちせの方が現実に抱える問題をきちんと直視しているので切実さを感じる。それがちせが夢芽に放つ「あんた贅沢なんだよ」という言葉に繋がるように思う。
夢芽のミステリアスさは自己嫌悪の薄さ(自分にある程度自信があり、自律した上で他の人間から孤立していること)に裏打ちされてる気がするし、ちせの健気さは自分への自信のなさに裏打ちされてる気はする。
社会的なものを破壊しても無益だと理解できる程度には聡いが、社会的なものに巻かれようともせず、恋愛的なものにも巻かれない。それが飛鳥川ちせである。南夢芽的なヒロインへのカウンターというか、作中でのバランスが上手く取れている。12話での暦との対比も良い。暦は社会との折り合いの終着であり、ちせは始まりであり可能性である。
ちせのエピソードはとにかく良い。健気だ。泣いてしまう。9話と12話は何度見てもちせの部分でずっと泣いてしまう。飛鳥川ちせは正の新条アカネであり、現実認識がまともな(まともであるが故に折れかけている)アンチである。
山中暦の話はまあ、どうでもいい。いや、好きな部分はかなりあるのだが。
10話で蓬が過去の記憶に取り込まれた暦を救う時に、暦とのやりとりが「蓬くん、もう少しだけ……」「暦さん」「蓬くん」「暦さん」でブチッと切って強制的に連れ出した(ように見える)くだりはけっこう笑えて好きだ。暦に対する扱いの雑さというか、無職ニート30代男性が学生時代のことでウジウジしていることのしょうもなさが、そのように昇華される。(蓬、夢芽、ちせの問題はこういう風に軽くは扱われない)
学生時代の暦の思い人である稲本さんはちょっと記号的というか、類型的感傷マゾヒロインみたいな描かれ方をする(海岸で風に吹かれながら笑ってますよこの人)。現在の稲本さんはそうした面影を残しながらも、もはやその時代を抜けきった別の人間である(なんか蓬に向かって「少年!」みたいな呼びかけをするキャラになってる)(それもどうなんだ)(「どうして結婚しちゃったんだろ……」じゃねえよ!)。
暦はすでに終わった人間であり、真っ白な状態からさっさと始めるべき人間である。彼が昔の稲本さんを理解しよう(昔の稲本さんに近づこう)として昔の彼女と同じように学校の窓に投石しようとするのは、かなりグッとくるものがあるが、寸前で止められる。そう、お前はやらなくていいんだよ。
GRIDMAN UNIVERSE
ユニバース。全ててんこ盛りの映画である。おそらくグリッドマンとダイナゼノンを視聴済みのファンが見たいものをきちんと全部(あるいはそれ以上に)出してくれる映画である。
他人の感想で「パチンコだった」というのを見て、まあそれも一理あるなと思う。終盤、もはや何と何が合体しているのか分からなくてひたすらピカピカしてしまうのは(テンションは上がるのだが)ただただ笑うしかない。
(本来、新規合体バンクはそいつとそいつが合体!?みたいな感じで、そこの興奮が旨味だと思うのだが、もはやそれらが無数に爆発しインフレ状態を起こす)
一体何が起きているんだ? それはもう考えることではなく、感じるしかないことだ。オーイシマサヨシさんもビッグバ~ンと歌っている。
(アノシラス二代目がああなって「お二人も乗ってください」と言うのはギャグとしてけっこう好きです)
終盤の蟹のくだりで、夢芽さんが一瞬で赤面してしまうのはアニメかよ!と思ってしまった。いや、アニメなんだけど。(ここまで読んだ人間には俺の言いたいことが分かると思う)まあ、それを言い出せば夢芽さんはいきなり蓬をお姫様だっこするし、ここはフジヨキ台ではなくツツジ台であり、そういうユニバースなんだよね。
でもスタッフロール後の黙々とした蟹鍋シーンで蓬と蓬ママのやりとりが「美味い?」「普通」なのはかなりフジヨキ台時空な雰囲気でよかったね。(蓬の母親への意趣返しでもあり、プール回で蓬が夢芽に言った「(チュロスは)美味い?」の反復でもある)
ガウマの姫がいきなり出てくるわけだが、姫のキャラもなんか青春男子の精神を終生破壊しそうな性格をしていて、あ~グリッドマンとダイナゼノンに出てくる女性ってこうだよね~と思いつつ、本当にそれでいいのか?みたいな気持ちにも少しなってしまった(稲本さんについて思う時と同じ気持ち)(主体ではなく客体としての女性を描くというのは一貫していて、そこが良いという話はあるのかもしれないが)。作中でも言われてた気がするが、ガウマってああいう人がタイプなんですか? まあ、そういうことにしておきましょう。
飛鳥川ちせが正の新条アカネだと言ったが、まさにそういう感じのシーンが出てきたのは嬉しかった。本当に一瞬のシーンだが、あそこだけで全然泣けてしまう。あとアンチがアカネに「クソお世話になりました」みたいなこと言うシーンも、なんかちょっとこれみよがしな感じがあるが、泣いてしまうね。泣いてしまう。泣いてしまうんだ。