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偽の大文字焼き・ロシアのこと

先日、井上章一『京都ぎらい』を読んだ。その中に京都の五山の送り火は意外と俗っぽいという話があった。明治24年(1891年)にロシア皇太子が来日した際に歓迎の意図で五山を点灯したり、祇園祭の山鉾を出したりしたという。歴史に明るい人であれば分かるだろうが、これは大津事件の数日前のことである。滋賀県で警官がロシア皇太子に刀で切りつけたアレだ。
五山の送り火といえばお盆に死者の霊をあの世に送り届けるために、五つの山に「大」「妙」などの文字や意匠を灯すイベントである。
近年では「大文字焼き」という呼び方はやめて「五山の送り火」と呼びましょうという流れがあるらしいが、歴史的にみると前述のようにお盆以外の時期にも灯していて、全然送り火じゃねえだろ、大文字焼きでいいだろ、という主張が『京都ぎらい』では述べられている。

私は京都出身だが、たしかに子供の時は大文字焼きと言っていた気はする。まあ正直、呼び方は何でもいい。
以前、知り合いからフランク・ザッパが来日した際に大学生らが盛り上がって大文字山に「Z」(Frank ZappaのZ)の文字を電灯で作ったという話を聞かされたことがあった。その時はマジかよ、森見登美彦の世界観やんけと思ったが、調べると事実だった。昭和51年(1976年)1月のことらしい。当時の新聞を上げておられる方がいた。

調べてみると、大文字焼きがお盆の時期以外に灯されたことは公式、いたずら問わずけっこうあるらしい。最近のいたずらだと2020年の8月に何者かが灯したりしている。公式でいえば、明治時代に琵琶湖疎水が完成した時や明治天皇が京都に来た時、室戸台風の時などに灯しているらしい。最近であれば2000年の大みそかに21世紀の幕開けを祝して灯した。こうして見るとたしかに公式からして俗っぽい。
ちなみに大津事件のロシア皇太子は後のロシア皇帝ニコライ二世で、日露戦争時のロシア皇帝であり、ロシア帝国最後の皇帝でもある。日露戦争が日本の勝利で終わった際には旧制三高(後の京都大学)の生徒が大文字焼きを点火したらしい。
なぜこういう記事を書いたかというと、ロシアという点と、フランク・ザッパの「Z」という点が自分の中の連想で結びついたからで、特に意味はない。別に陰謀論とかそういう話ではないです。
フランク・ザッパ(1940~1993年)はアメリカのロックミュージシャンで、別にロシアとかとは関係ないです。私はアルバム『Hot Rats』しか聴いたことがないのだが、かなりカッコいい。聴くといいです。

2022年2月のロシアのウクライナ侵攻以来、「Z」という意匠が西側諸国で使いづらいものになった。ロシア軍がなぜ他の意匠ではなく「Z」を使うようになったのかは諸説あるっぽく、軽くネットで調べた感じでは確定したものはなさそうで、よく分からない。
ロシア側がウクライナにネオナチがいるぞと喧伝していることの根拠の一つにウクライナのアゾフ大隊というものがあるが、アゾフ大隊のエンブレムには「ヴォルフスアンゲル」が使われている。形としてはZを横倒しにして真ん中に1本足したような意匠だ。ヴォルフスアンゲルはナチスドイツ軍でよく使われた意匠らしいが、歴史的にはもっと古いものであるらしい。
まあ、なんというか(特に右翼的な集団において)みんなこういう感じの意匠が好きなんだなという感じはする。もちろん、そこには私が知らない向こう側の歴史的な経緯や伝統があるのだとは思うが。

話は戻るが、私は『京都ぎらい』の井上章一の文体が少し苦手である。読点が多すぎる。本人は喋り口調にするつもりで書いているんだろうが、逆に読みにくくなっている気がする。まあ、年齢が私の親くらいの人なのでお前の文章読みにくいんじゃと言ったところで仕方ないのかもしれん。
内容としても『京都ぎらい』はちょっと薄いというか、曖昧な話がけっこう多い。曖昧な話は「これは根拠の薄い話ですが」と断って書いてくれるあたりは割と誠実だと思うが。この本が23万部以上も売れたというのはビビる。
個人的に井上章一の本で面白かったのは『夢と魅惑の全体主義』で、これはファシズム建築に関する本だ。井上章一の専門は建築史で、やはり京都の話をダラダラされるよりこっちの方が面白い。ただ文体はこちらも同じような感じだったと思う。読点が多い。
少々うろ覚えだが、ファシズム政権下のドイツとイタリアは精神面でローマ帝国の継承者的なものを標榜していて建築物もローマ帝国的なものになっている話や、ソ連の建築はスターリンがある建築物に対して「尖塔は付かないのか?」と言ったことでその後に建てられた建築物は部下の忖度によって全部尖塔が付いたみたいなエピソードが載っていたと思う。
日本においても戦前・戦中から戦後に至るなかで五族協和や天皇を称える碑がいつの間にか平和祈念の碑へと名前がすり替わっている話などが載っている。

ちなみに著者の井上章一は現在、国際日本文化研究センター(日文研)の所長で、日文研といえば例の騒動で呉座勇一が懲戒処分を受けた場所である。まあ、人事権を持つのは所長ではなくて運営している人間文化研究機構らしいのだが。

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