人とは何か、我とは何かを考える
23歳の時に父親が癌で死んでから人生とか家族とかそんなことを考えることが多くなりました。
それから14年。
うちの母ちゃんは韓国アイドルにどハマりしていて、日本国内のみならず一人でタイツアーとか韓国ツアーとか行っちゃうくらい元気に暮らしてます。元気で何より。
そんな二人(どんな二人やねん)の間に生まれたぼくが代表を務める弊社には一応会社らしく理念があるんです。
「人とは何かを考える」
超立派な理念だと我ながら思うわけです。
あたしかわいいお星様SNSまんせーな現代ではなおさら。
いや、それも大事だし、ぼくも自分のこと少しは好きですけどね。
いいね!欲しいし笑
でもちょっと立ち止まって考えてみて欲しいんです。
それ「いいね👍」ゼロだったらくっそ病むでしょ?
まさにそれが「人とは何か」を考えるきっかけなんです。
何もない世界
思考実験です。
仮にこの世の中のもの、自分以外の生き物、物質。全部消えたとします。
何もない真っ暗闇。
さあ、自分が生きている証明をしてください、、、、
ほっぺたつねって痛かったら生きてますか?
心臓動いていたら生きてますか?
多分証明はできない。というか誰が認めてくれるのか。
じゃあお友達1人召喚しましょう。
今度はどうでしょうか。
友達に話しかける、友達が応えてくれる。
友達の手を握る、友達が手を握り返してくれる。
真っ暗闇でも他の誰か(何か)がいれば、自分ではない誰かが反応してくれる。
少しは生きている証明はできるのではないでしょうか。
(ああ、幽霊がいたとして彼らがイタズラするのはそういうことか。
baby boy 私はここにいるよ)
自分を自分として認めてくれるもの
思考実験の結果的には自分だけでは自分の存在証明ができない。
でも誰かがいれば自分の証明はできることになるので、
他者が第一義的存在になります。スタートは他者なのです。
わたしではない他者を認識することで、他者ではないものとしてのわたしが確定する。
=他者が存在することによって自分が存在できている。
わたしはわたしであって
わたしはあなたであって、
あなたはあなたであって
あなたはわたしである。
そしてわたしは誰かであって
誰かはわたしである。
そう考えると
「誰かにしたことは自分に返ってくる」
ということもなんとなく納得できなくもない。
だからぼくたちの仕事も
まず目の前にいる人のためにやってみようよ。
って思うわけです。
それを大事にしたいと思ってます。
いや、でもほんと人ってなんなんだろう。