人生の後半はアナログで。
子育て中はずっとライター、つまり自営業。だって残業できないもの。
住宅情報誌のライターなので、昼間はクライアントとの打合せやカメラマンとの撮影や取材などを行う。近年では広告代理店からデータを借りるのも、クライアントに原稿を確認してもらうのもネットで済むから随分助かっている。
とはいえ隔週〆切の冊子と季刊誌を同時並行するには、やはり家にいる時はほとんどPCの前。夕飯、入浴後もやっぱり原稿制作。眠る前までこんな感じ。
ところが50代になってから、年に何回か異変が起きるようになった。いきなりの吐き気や腹痛、自家中毒のような症状に襲われ寝込んだ。これはイカン、このままではワタシ壊れてしまう。こんな生活そろそろ辞めよう!
辞める理由は他にもあった。子どもたちが社会人になり必死で共稼ぎする必要が無くなったことや、わたし自身の価値観の変化だ。その情報誌はマイホーム購入のために新築マンションを紹介したり、注文住宅の事例を掲載していたけど「マイホームを買って幸せになる」という時代は終わったと感じていた。さらに自分の子ども達が大学を出て就職してみたら年収400万円以下、これは業界では「ターゲット」以下の層にあたる。子どもたちも含めこれからの時代、不動産を買うことはリスクの方が大きいかもしれない。
真剣に考えたのは、ひとり過ごした元旦だった。怒涛の年末進行を終え、自分の実家とわが家の大掃除を済ませ、簡単なお節の準備をして新年を迎えた途端にまた寝込んで、家族だけで夫の実家に新年の挨拶に行き、ひとり残された。
そこで真剣に考えた。ライター辞めよう、55歳までに辞めよう。だって昔は55歳定年だったし。でも次に何をしよう?何ができるんだろう?
そんな時に思いだしたのが、倉敷で見た椅子敷きだった。ずっと長く使える生活の品をつくること、こんなアナログな仕事なら無理なく続けられるかもしれない。そして限られた資料の中から見つけた倉敷本染手織研究所のことを知った。住込みは2年待ちということで、その間に資金を貯めつつ家族に話をして、新しい変化を待った。具体的なプランはないけど、気持ちはとにかく別の方向を目指していた。