ここ数年、何だか幸せだなあと思う。 桜が咲き始めた最近(2023年4月)はずいぶんと人出も増えて、お花見する人や催事を楽しむ人、旅行者の姿も多い。日常の平和な日々が少しずつ戻ってきている。 そんな状況もあるけれど、幸せだと感じるのは、私が他人との比較をやめたからだと思う。自分基準、自分でコレで良し!と決める。 それほど強い心を持っていない私は、これまでずっと「もっと努力すれば、頑張れば」という気持ちに支配されてきた。欲張りというより、変な強迫観念からである。そして、まだ足
一緒に暮らしている娘の子どもは活発で天真爛漫ではあるが、とにかく落ち着きがない。こんなので小学校大丈夫か?と思っていたけど、案の定、団体生活にスンナリとは馴染めず、1年生になったばかりの頃は、学校から毎日電話があった。 個性や自発性を大切にするなんてスローガンを掲げているものの、教員不足で古い体質の今の小学校には難しいみたい。今の時代、給食時間のおしゃべりや友達にあだ名を付けることもNGだというし。 娘は幼い息子が、多動気味の発達障害と認定されたことで腹を括った。 でも、やる
モノを買うのは〝自分探し〟に似ているというけど、それは当たっている。 若い頃は服にしても「何にでも似合う、そしてトレンド感のあるお得なモノ」を探していた。今から考えれば、それは「どんな人にも受け入れてもらえる無難なワタシ。必要とされる人間にスルリと豹変できる自分」を良しとしていたから。その頃のわたしは、行った先々で誰かの知り合いの人に間違われることが多くて、どこのお店に数回行っても「初めてですか?」と言われていた。 その後年齢を経て、またライフスタイルが変わったことで、自
いくらひとり親方とはいえ、私が始めた手仕事だって、ひとつの事業には違いない。補助金を申請する際にも達成したい目的やプランを設定して、この3年間は、それに沿ってかなり頑張ってきたと思う。 例えば新しい商品をつくる、販売店を増やす、そして売上をアップするとか。運良くお客様も増え、SNSのフォロワー数も伸びて、売上もアップした。 とはいえ手仕事。 どう頑張ってもこれ以上生産性が上がることはないし、売上をどんどん増やしたいわけじゃない。これから、私は何を目指せばいいんだろう? こ
コロナのせいもあって、世の中が変わるスピードがものすごい! 今まで私たちを縛っていた常識や世間体などというものが覆えされ、面白いくらい価値観が変わったし、随分風通しも良くなった気がする。 「これ意味ある?無駄じゃない?」と自分の考えをためらわず口にでき、新しい行動が始まりつつある。 その中でも特に変わったのは「モノを買うこと」だと思う。 消費が減って経済が回らないとか言われるけれど、モノを沢山持っていることは、今や豊かなことじゃくて、逆にノイズと感じる人だっている。 わたし
若い頃は元気で可能性も大きいから、「もっと頑張れる」と自分に厳しく自己評価も低くなる。だからコンプレックスも多かった。 でも、ある程度の年齢になると徹夜も無理もできなくなる。さらに50代になるとワンシーズンに一度くらい自家中毒のような症状で寝込むようになり、身体だけは丈夫という数少ない自信も消えてしまった。身体がココロについてゆけないという現実。こうなると、もう〝諦める〟しかない。 そういう経験を経た今では、〝一生懸命頑張る〟のを控えている。疲れる一歩前に休む。 長女気質の
出店すると必ずお客様から聞かれることは「お店とかないんですか?」 ええ、ないんです。ひとりで作っているのでお店まで手が回らなくて…と答えていますが、その度に「アトリエあればいいな」と思ったものです。 知り合いになった作家さんを訪ねる機会も増えてくると、かなりの方が自宅やビルの一室に小さなアトリエショップを持っていることがわかりました。 たとえそこが、かなり奥まった場所でも、不定期営業でも、お客様はちゃんと来てくださるということもわかりました。 開業3年が過ぎ、そろそろ自宅
自営業である。しかもワタシひとりでやっている。 手仕事、つまり私は作り手。作り手は無名の存在で、裏方に徹することができた民藝ブームの時代とは異なり、今は自分のつくる品は自分で世の中に宣伝して売る努力をしなくちゃいけない。 日々製作に追われながら、商品のブランディングから販売店の開拓、出店時のプロデュース、宣伝のための撮影からフライヤー作成まで、とにかくやる事が毎日ぎっしり。 お金のことだって大切だ。 商工会に入って相談したり、銀行に融資を依頼したり、補助金のための申請書類書
手仕事作家と呼ばれるようになってしばらく経ちますが、何に一番困ったかといえば、ファッション=装いです。 前職ではスーツ、主に男性と打合わせをしていたので、わたしもジャケットにタイトスカート、ヒールが基本。しかも程よくトレンドを取り入れながら。 ウチの夫は機能優先脳の会社員ですが、こんなアドバイスをしてくれたことがありました。「この人に仕事を頼めばキチンといいものに仕上がる、一緒に仕事したいと思わせる格好をしなくちゃね」うん、なるほど! それが手仕事を始めると、会う人全てがノ
蔦屋書店でふと手にした本「完売画家」(中島健太著)。帯のコピーは「絵描きは食えないを変えたい」。 実は最近、手仕事仲間で雑談した折に「家にお金って入れてる?」という話題が出た。その作家さんは市内中心部のビルの一室にアトリエショップを構えている。私にとっては、それだけでもスゴい!と思える。が、「家に入れるほどの利益なんてないよね」というのが、たいていの作家仲間の実情だ。 話を戻して、「完売画家」を読んでみると、アートと手仕事という異分野といえ、わたしと共通する現状もまあまああ
子育て中はずっとライター、つまり自営業。だって残業できないもの。 住宅情報誌のライターなので、昼間はクライアントとの打合せやカメラマンとの撮影や取材などを行う。近年では広告代理店からデータを借りるのも、クライアントに原稿を確認してもらうのもネットで済むから随分助かっている。 とはいえ隔週〆切の冊子と季刊誌を同時並行するには、やはり家にいる時はほとんどPCの前。夕飯、入浴後もやっぱり原稿制作。眠る前までこんな感じ。 ところが50代になってから、年に何回か異変が起きるようになった
月に2回、整体師のてっちゃんにお世話になっています。「身体は限られた資源じゃけん、大事に使わんとね」といつも言われます。 てっちゃんはライター時代の仲間の旦那さんで、もと自衛隊員。わたしが初めて作品展をした日に、彼は55歳の定年を迎え、退職金で椅子敷きを買ってくれました。そしてしばらくして施術院「関節ラボ」を始めました。最初は長い間通っている整体と鍼の治療院と並行しながら彼にお世話になっていましたが、みるみるうちに実力を付け、てっちゃんオンリーになりました。 てっちゃん
手仕事をはじめて丸5年。 わたしもとうとう還暦になってしまいました。気分は変わらず若いままですが、やはり身体は正直。疲れのせいか、この頃はめまいや耳鳴りといった自律神経の不調に悩まされています。 というわけで、春の出店を終えた後に思い立って島根県の温泉津(ゆのつ)に湯治に来ました。2泊3日のプチ湯治。 家族と離れて家事放棄、何にもしない、温泉に入って寝るだけ。読み物は持参したけど、ほとんど窓からの景色をぼんやり見てるだけ。回復には、自分に刺激を与えないことが大事なんじゃない
ライター生活25年を経て、手仕事作家に。そこで気づいたのは、世の中にはモノづくりをする作家さんがとても多いこと。ある意味、石を投げれば作家にあたる!くらい街にも自分の暮らすエリアにも作家さんがいたのです。 しかも世の中は作家ブーム。マルシェやポップアップショップは珍しくもなく、近所のコミュニティ施設から格式あるデパートまで出店の可能性があるようなのです。 ただ、なにを作るかは皆さま千差万別。アクセサリーに刺繍、革小物、カゴ、陶器、服、木工、ガラス、キャンドルetc、そのクオリ
手仕事作家になったからと言って、すぐに売れる訳ではありません。バイトしながらの製作活動。ですがコロナのせいで、バイト先の結婚式場が倒産しました。残念でしたが、これを機に手仕事だけでやってゆこうと決めました。 知り合いに勧められて、商工会へ相談に。そこで、わたしのような小さな手仕事であっても1つの事業であることを自覚しなさいと。それを続けるためには売ることもしっかり考えるべきで、HPを作りなさいと言われました。お金ないし自力で作りますと答えると、「せっかくいい品を作っているの