平成生まれサッカーキッズがアーセナルとどうつながってきたか
5日目だ。
このnoteは,思うところあって4年ぶりに再開したんだけど,そこからまた数ヶ月放置されていたんだよね。
それを久しぶりに更新したのが5日前。
そこから毎日書いている。
なんで続いているかといえば,やっぱり楽しいからだなぁ。
SNS自体をほとんどやったことがなく(SNS,というには,noteはまたちょっと風合いが違うと思っているのだけど),こんな文章を誰が見てくれるのか?と思っていたんだけど,二桁に届くか届かないか,というような数字でも,誰かが確実に読んでくれている。
それがわかると,とても嬉しいね。
世のインフルエンサーとか,情報発信者と言われるような人たちは,これが数万~数十万,ときには数百万単位で見られているわけで,その感覚は想像もつかないね。
すごいや。
今日は何について書こうかな。
ここのところ,やたら内省的な話ばかり書いていたので,今日はもっと具体的な日常のことを書きたいな。
ということで,われらがアーセナルの副キャプテン,ガブリエル・ジェズスについて書いてみよう。
…と思ったのだけど,その前にアーセナルというチームについて書いていたらそれでいっぱいいっぱいになってきちゃった。
ので,ジェズスについては後日書くとして,今日はアーセナルについて書くことにしよう。
僕のような平成生まれサッカー好きが,一つのスポーツクラブとどのようなつながりを持っているか,という話だね。
アーセナルのことを知っている人も知らない人も,何かを応援している経験がある人なら,共感してくれる部分があるんじゃないかと思って,書こう。
アーセナルは言わずとしれたプロサッカーチーム。
イングランド1部・プレミアリーグの強豪で,日本との関わりが深いクラブだ。
稲本や宮市,浅野といった日本人選手が在籍していた経験を持ち,現在も冨安選手がチームの一員として活躍している。
アーセン・ヴェンゲルという世界的名将が長年にわたって率いていたチームだが,そのヴェンゲルがJリーグの名古屋グランパスで監督をしていたことは,とても有名な話だ。
当時のjリーグのような辺境リーグから,一気に世界のトッププロが集まるプレミアリーグの監督になるなんて,夢があるよね。
アーセナルは,小学校から高校までサッカーをしていた僕にとって,昔も今もとても魅力的なチームだ。
僕がサッカーを始めた時期は,2002年の日韓ワールドカップのころだった。
そのころのアーセナルといえば,ティエリ・アンリやパトリック・ヴィエラといった超豪華メンバーが揃い,リーグ無敗優勝を達成した「インヴィンシブルズ」が象徴的だ。
ウイイレでも無類の強さ。みんながアーセナルを選びたがった。
その鮮烈な印象は,あの頃のサッカーキッズの脳に刻み込まれているはずだ。
その後のアーセナルは,CL圏内(リーグ戦4位以内)をなんとか保つものの,上位に食い込むことは難しい,という立ち位置が長く続く。
それでも,美しいパスサッカーと才能豊かなユース出身選手の活躍が,2000~2010年代のパブリックイメージだろう。
しかしその2010年代,アーセナルから,というよりサッカーから,僕は遠ざかっていた。
ちょうどその頃,僕は大学生。
下宿を始めて,新しい環境で新しいことがやりたくなって,小学生以来ずっと続けていたサッカーではなく,ティーンエージャーの自分に影響を与えてくれたもう一つのもの,つまりは音楽を自分でやってみたくなった。
軽音部に入って,初心者からドラムを始めて,とにかくバンド活動にのめり込んでいった。
その後の僕は,院進学を決め,長い大学院生活を送ることになる。
…いや,長いな!
アーセナルについて紹介しようと思って,そのときどきにまつわる自分の思いを書いていたら,それだけでもう文字数がどんどん増えちゃうね。
1つのクラブとのつながりを書くということは,自分の人生を語ることでもある,ということなんだな。
ここが,単なる情報伝達ではない,物語ることのよさだよな。
つまりは,そこに「意味」が込められていて,その「意味」が誰かに共振する(かもしれない)。
あぁ,わかるわかる。へぇ,ちょっと年代が違うとそんなイメージなのか。
そんな波紋が少しでも広がったら嬉しいな。
さぁ,というわけで,次回につづく(たぶん)。
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