4年経って,再スタートが切りたくなった
noteを始めて4年が経つ。
といっても,思い立ってアカウントをつくり,1記事投稿しただけ。それからずっと,4年間放置だった。もう新しくアカウントを作り直そうかとも思ったのだけど,せっかくだから書き継いでみよう。
4年前の記事では,夢やぶれて新天地に赴いたときの気持ちを書き残していた。もともと目指していた目標に届かなくて,尊敬する先輩から引導を渡され,新天地で再起を図ろうとしていた。
そこから4年の間に,僕は夢を叶えていた。新天地で経験を積みながら,キャリアのための準備を進めていたところ,チャンスが巡ってきた。面接と審査を突破して,目指していた場所にたどり着いた。このあたりの話も,いつか書きたいなぁ。
noteは,何度も書こうと思っては書かずじまいで,そうこうするうちに4年も経っていたというほうが実感に近い。書きたかったのは,キャリアのことだけじゃなく,日々の生活のこと。結婚して子育てをして,音楽や物語にふれて,ひいきのスポーツチームの試合観戦で一喜一憂して。英語や数学を学び直したり,独学でピアノを始めてみたり。そんなまとまりのない生活や趣味にまつわること。だけど,そのときどきで自分のフィルターに引っかかったこと。そういういろんなことを,ウェブ上に書いてみたいなという思いが,実はずーっとあった。
というのも,アラサーになっていくにつれて,そういうことが気軽にしゃべりづらくなってしまったから。考えていることはあるのに,それを誰かにむけて話そうと思ったときに,話せる人がいない。気持ちが動いたことがあったのに,それを分かち合えそうな人がリアルなつながりの輪の中にない。
いや,妻とはよくいろんな話をするし,ずっと連絡を取り続けている友達もいるし,お互いのことをよく知る間柄の関係はある。だけど,たとえば妻とは趣味が合うから結婚したわけではない。つまり,共通の趣味はほとんどない。お互いの価値観についてはよく話すし,子どものことについてもよく話す。他愛もないおしゃべりは楽しいし,ともに生活し子育てをするうえで,これ以上ないパートナーだと思う(相手もそう思ってくれていたらいいのだけど)。
なんだけど,たとえば僕が思春期に通ってきたようなバンドを妻はほとんど知らない。アジカンとかバンプとか,その世代ならみんな知ってるっしょ?と思わず言いたくなってしまうようなメジャーバンドも,よくわからない。僕は小説やマンガをよく読んできたけれど,彼女は今も昔もまったく読まない。親が教育に熱心だったそうで,マンガとかゲームとかの勉強のじゃまになりそうなものは買い与えてもらえず,図書館で読めた「ブラックジャック」と中高生になってお小遣いで買った「僕等がいた」が,彼女の既読マンガリストのすべてである。
彼女がそういうものを通ってきていないことについて,それがどうこうということではない。僕からすると趣味の話が共有しにくくて残念ではあるけど,その分ほかのことでたくさんの経験を彼女はしていて,それはそういう違いがあるというだけだ。彼女の親は,たとえば旅行にはよく連れて行ってくれたらしいし,外遊びのための道具,スポーツ用具とかローラーブレードとかホッピングとか,そういうものはたくさん買ってくれて,習い事もいろいろさせてくれたというから,それは家庭の教育方針や考え方である。
僕が言いたいのは,自分のフィルターに引っかかったことの中で,妻に話してもよく伝わらないことがたくさんあるということ。そして,それは当たり前のことであり,しかたのないことであること。だけど,それをだれかに話したい,伝えたい,聞いてもらいたいという思いがずっとくすぶっているということなんですね(いや,急にデスマス調で語りかけてすみません。でも,これが言いたいんだよなぁ。小論文では語尾の調子を揃えなさいというけれど,ここはnoteだし,ここからこの調子でいってみます)。
友達にしたって同じなんですよね。たとえば地元の友達や大学のときの友達なんかは,共通の趣味があって,さっき言ったようなバンドとか小説とかマンガとか,同じものを共有してそのときどきで体験を分かち合ってきた仲間でもあるわけです。だけど,年に一回は必ず会っていても,そんなに深い話ってできないじゃないですか。いろいろ近況報告をしあうし,結婚式にも招待しあうし,たまに電話をかけて無駄話をしたりもする。でも,そういうことができる貴重な間柄だからこそ,かえってキャリアがどうとか家庭のことがどうとか,話しにくいなって。
いや,厳密にいえば,キャリアや仕事の熱い話をする友達がいたり,家庭の愚痴を話せる友達がいたり,まったくそういう話が友達とできないわけじゃないんです。でも,たとえば地元のいつも集まるみんなで飲んだとき,そういう話はしづらいなぁと思うわけです。結婚してるやつもいれば,独身のやつもいる。子どものことも家庭でそれぞれだし,仕事の充実度も結構開きがあったりする。僕らの中に優劣の意識はなくても,僕らは社会の価値観を内面化するにはじゅうぶんな時間を社会で過ごしてしまった。だから,なんか気まずい。それよりは,久しぶりに集まったんだし,いつもと変わらない昔話でもして,楽しい夜を過ごしたいと思う自分も確かにいて。たまにはマジメな話をしてみたい気もするけど,いややっぱりみんなでとなると,難しいよねぇ。。
そんな感じで,気の置けない仲であっても話しにくいことってあるな。そういうものを,気軽に話せる場がリアルで持ちづらくなってきちゃったな。かといって,SNS空間も年々息苦しさが増してきてて,いつの間にか更新しなくなっちゃったな。いまから新しい友達をつくるのもハードル高く感じちゃうな。それは自分が選んだ道の代償なのかなと思わないでもないけど,自分のコントロールが及ばない範囲で起きている変化でもあるよな。やっぱり誰かに話したいな。日々の生活の中で気づくこと,なにか作品をみて受け取ったもの,心が動いた経験。そういうものを書く場として,noteをもう一度始めてみよう。そんなふうに思い立ったのが,この記事を書いたきっかけです。
ということで,何を書いていくかは定まってないのだけど,そのときどきで自分のフィルターに引っかかったことについて,いろいろと書いていこうかなと思う。そして,ここまで書いてきたようなことって,実はけっこういろんな人が感じていることでもあるんじゃないのかなって,そう思ったりもする。この記事に,いろんな人がいろんな部分で引っかかってくれたら,嬉しい。
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