![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/162950244/rectangle_large_type_2_9c62f3655911f00bfe9b199bd3601bfa.png?width=1200)
書き出しのための文章は削るべき?
今日は何を書こうかな。
と,いつもこんな書き出しだけど,本来書き出しというのは文章表現において,ものすごく大事な部分だと言われるよね。
ビジネス的な用途なら,結論が一発でわかること,なんでその結論に至るのかというロジックがすんなりと理解できること。
小説なら,その世界観に一気に引き込まれること,続く物語を読んでみたいと思わせること,だろうか。
論文だって,かつての難解だったり無味乾燥だったりする表現を脱して,イントロダクションやタイトルをいかに魅力的なものにして,中身を読みたいと思ってもらうか,ということに気を配り始めているようにみえる。
千葉雅也さんは,書けないという悩みに対して,フリーライティングという手法で対処していると,ある座談会で話されていた。
頭の中にあることをとにかくバーっと書いてしまうこと。
「えーと,今日は何を書くんだっけな,なんか書きたかったと思うんだけど,それにしても最近はちょっと締切が終わって一段落ついて,ちょっと楽になったか。それにしても…」
というように。
こういう書き方をすると,とにかく書き始めることができる。
そして,この書き始めるということが決定的に大事だ。
なぜなら,書く前から書きたいことは決まらないから。
こうして書いているうちに,だんだん脳というか身体というか,が活性化してきて,書きたいことが生まれてくる。
ロケットの発射のようなもので,ある程度の高さまで打ち上がるには必要なのだが,その後は不要になって切り離されていくもの。
それが,さっきの文章であり,この記事の出発点である「今日は何を書こうかな。」なんだね。
書店で文章術のコーナーを探しているときに,「文章はつかみが9割」というタイトルの本を見かけた。
中身をパラパラと見ただけで,購入までは至らなかったのだけど(買ってないんかい),惹かれるタイトルだよね。
メッセージははっきりしていて,書き手は,いかに読者に読んでもらえるかという「つかみ」に心を砕くべきだ,ということ。
実際に自分が読者になるときも,まずタイトルや装丁から受けた第一印象が,手に取るかどうかを決めていると思う。
そこから,パラパラとページをめくり,目次をみて,もっと読んでみたいかを考える。
noteでも,どうしたってタイトルと画像から入っていくよね。
だから文章においても「つかみ」は重要だ。
これは間違いない,と思う。
だから,この考え方に則って考えるなら,冒頭のフリーライティングの部分,ロケットの発射後に切り離される部分は,消したほうがいいんだろう。
ただ。
これが,いつも書く硬い文章だったら削ることに躊躇はないというか,割り切れると思うんだけど。
noteになると,消したくないと思うんだよなぁ。
日記のようなエッセイのような,そういう文章を書き始めていて思うのは,この一見すると「ムダ」な部分が残っていることにも,意味があるのかもしれないということ。余白やゆとり,と言ったらいいんだろうか。
結論が先にくる,この文章を読むとどんなメリットがある,この文章を書いている私はこんな実績があるので説得力がある。
というようなイントロは,実際とても大事だし,自分も参考にする。
だけど,いま自分が魅力を感じている書き方や文章は,論証やセールスに特化していないものなんだなと思う。
いや,これはどっちが大事ということではなく。
目的が違うので,どちらがより適しているか,心地よいかということなんだと思うのだけど。
ただ,エッセイ的な文章を読みたいときっていうのは,ふわっとぬるっと始まって,なんとなーく考えの流れについていくような,その流れの中で「あー,確かにわかるわ,それ…」なんて思っていたら,「あ,終わった」,みたいな,そんなペースで進む文章が合うんじゃないかな。
とまぁ,こんなことを言っておきながら,次にはえらく凝ったイントロを書いているかもしれませんが!
自分の主張を通したいときや,モノを売りたいときはあるだろうから,そのときどきのモードを確かめながら書いていくことが大事なんだろうね。
なんとも締まらないけれども,今日はここまでにしよう。
気になったので,「ロケットの発射後に切り離される部分」について軽く調べてみた。
この部分には「ブースター」という名前がついているらしい。
環境に配慮した再利用可能なブースターというのもあるらしい。へぇ。
ん?だけど,ロケット発射後にあんな高いところから落下したら,そのブースターとやらが木っ端微塵にこわれちゃって,再利用どころではないんじゃないか?
そう思ってもう少し調べてみると,なんとつい最近,2010年代ごろに実用化された技術で,「垂直着陸システム」というものがあるらしい。
スペースXの「ファルコン9」が2015年に初めて軌道から帰還したと。
打ち上がって分離した後のブースターがコントロールを失って,地面に強く叩きつけられる映像を僕は思い浮かべていたのだけど,この技術では,ブースターが垂直にまっすぐ落下するように,ロケットの上部に取り付けられたフィン(羽根)を使って空中での姿勢を制御したり,エンジンを落下とは逆方向に噴射することで落下スピードを減速させたり,というような技術を駆使することで,自力で地上に戻れるように設計されているんだとか。
すげぇ。
ということで,一見するとムダに感じられても,再利用するのが近年のトレンドなので,文章のブースターも削らなくてもいいのかもしれない(こじつけ)。
ただ,こんな最新鋭の技術をかき集めたような精密なシステムは,余白やゆとりに意味があるんだ,みたいなさっき書いた話とは合わない気もするのだけど…。
けっきょく上手く締まらず。
またお会いしましょう。