気持ちベース(苦しさの整理と説明)全部書く

・いろんな草とか穀物がブレンドされた健康茶を買った。つまりは漢方味で大変不味い。甘い味とか甘い匂いが嫌いな人は少ないだろうけど、甘苦いとか甘臭いって最悪だ。
甘臭四郎。なんつって。
漢方味と言えば、クラフトコーラもそうだ。好きになれない。
お茶パックは32袋入り。先は長い。
自我が無いから、捨てるとかもせず、毎朝煮出して飲んでいる。健康になりたいし。

・2年前くらいに体調を崩して宗教活動ができない時期があったんだけど、当時の私は、(突然地獄に堕ちるはずだ!!)と恐れおののいていた。そしてどこかで、そんなら堕ちるとこまで堕ちてやりたい。と思っていた。しかし現実は平凡で、悪い事が次々起こるわけでもなければ、体調が悪化するわけでもなく、なんなら解放されてちょっと元気になった。←不信を起こす流れでまじでクソ。善いことしたらすぐに善い結果が、悪いことしたらすぐに悪い結果がもたらされるわけじゃあないんだな。だから、とにかく信じ続けるのよ~~~。はいっ!!!(空元気乙。言っときゃいいと思ってる)
 結果が出る0.1秒前まで魂の全てを注ぎ込むような奇蹟への期待、そしてあまりに平凡な現実。あっかんべー。三島由紀夫、めっちゃ分かるぜ。

・「堕ちるところまで堕ちきりたい」と思っているのは、「だめになりきらなきゃ誰も助けてくれない」と思っているから。自分の苦しさって、病名がつくとか、体への症状として明らかに現れるとかじゃないと、人に信じてもらえないし、自分でもなんか疑っちゃうところがある。苦しむ正当な理由が欲しいのかもしれない。ああ、それなら仕方がないね、君は弱いねと言ってもらいたい。でも本当は、だれも自分のことなんか救っちゃくれない。

・自分の苦しみが自分でも疑わしいのは、ずる休みばっかしてきたからだ。幼稚園と学校に行きたくなさすぎて、朝親に泣きついて風邪を引いたということにしてもらってた。さすがに行けよって言われて嫌々登校した日は、昨日風邪なのに今日は元気ってのも不自然だな…とわざと咳混んでみたり、鼻水すすってみたり、健康観察では「はい、風邪気味です」とか言って、帳尻合わせをした。
 今でこそ、「天気痛」という名前は有名になっているけど、当時は定期的に原因不明の関節痛(激痛)に悩まされて、あらゆる病院を回って、ひと冬体育のドクターストップを食らった。(だから私は雪国育ちなのにスキーがへたくそ!)体が弱くて体力が無い子、とレッテルを貼られて、それは学校を休む口実にはちょうどいいけど、本当の自分の姿とは乖離しすぎてて、どう動いていいか分からない。
 未だにこんな悪夢を繰り返し見る。助けてほしい。でも助けてもらう方法が分からない。演技か本当か自分じゃ分からないけど、過呼吸を起こして気絶する。でもみんなが、「嘘、嘘」と言って、嘘がばれておしまい。

・でも、ずる休みじゃなくて本当に風邪をひいて休んだ日も全体の過半数はあった。行きたくなさの絶頂、小学校3年生ぐらいの時は、週1で風邪をひいてたんだから体は案外素直なところがある。爪の根本の白い半月が消えて、「ほら!体弱いとここ消えるの!」と言われた。
 オレンジ色の粉薬って、子供向けに甘くされてるくせにいや~~な味が他より強くて、甘苦くって一番まずいことを知ってる。漢方薬は、コップ一杯のお湯で溶くからなかなか飲みきれない。

・独りぼっちになってから自分の人生が始まる。親兄弟も、自分を救ってはくれない。本当のところまで行くと、味方は誰もいないんだ。中学1年生の時にやっとそれが分かった。私は馬鹿だから、どんなに苦しくなっても自分から祈ろう、信じようということになかなか気づけなくて、親すら味方になってはくれない、というところまでいかなきゃならなかった。ああもう私には、この御本尊様しかないんだ、と分かった(んだから、さっさと祈ればぁいいのにね。末法末法。)池田先生だけが自分を信じてくれている。それだけで生きた。

・妹ができたばかりの頃、「○○ちゃん(妹)には生まれた時からお父さんがいて、きれいなおうちに住めて、金魚もいて、羨ましいな」と母親にもらした。おかんは、「○○ちゃん(妹)には福運があって、○○ちゃん(私)には使命があるんだよ」と言った。私は、打たれ強く屈強な人間に育ったと思った。高校時代の先生に、○○さんは、雪柳のようにしなやかで、折れそうになっても絶対に折れない強さを持っているんだね、と言われた。違います、先生。私はもう折れちゃいました。

・苦しみには、価値も善さもなんもない。そう言ってほしかった。
そんなに早く消化できるわけない。
私が弱いからなのはわかってる。いつか分かる時が来る、のもわかってる。
わかってるから。

・宗教的正しさしか口にできない人は残酷だ。
 発言の出典が全て御書の人がいて、そんなの私が大間違い野郎に決まってるんだから、会話を始めようもんなら叱咤激励を受けて当たり前田のクラッカー。あんたに何が分かるんだ。わかるもんか。
 ああ、でも、そうだ、人に分かるはずはないんだった。どうして私は、分かってもらえるはずがないと知りながら、助けてもらおうとしているんだろう。
 あんたに何が分かるんだ。ガツンと殴られるみたいに、そう思わせてくれる人は優しい人だ。

・最近は肯定的な言葉をかけてくれる人や、私の「~べき」思考を解放してくれる人に恵まれすぎていたから、正しさしか語らない人と話すときがあるとひどく傷ついた。でも、私は褒められて伸びるタイプじゃなくて、叱られて伸びるタイプだから、そうやって突き放された方がいいのかもしれない。誰も救っちゃくれないんだから。私をもう一度孤独の谷に突き落としてくれる人が、本当に私のための人なのかもしれない。(すべての人、ありがとう)

・言葉を知った今は、バッド入るとか離人感とか現実感消失とかなんとでも言えるけど、たいして日本語も知らない子どもにとってはなんと言い表していいかわからない、なんか変な気持ち、それがあった。
 私が人生で初めて声を出して笑った漫画が『ぼのぼの』であることは有名ですが……フェネギーちゃんが、両親の夫婦喧嘩を見ると、自分の周りが真っ暗になって、どんどんそうなって、そして砂漠の彼方に飛ばされる、そんな気持ちになるのよねぇ、と言っていた。小4の時それを読んで、めっちゃ分かるとなった。これこれ。
 これがそれなのかどうか、正誤はともかく、この変な感覚が、他の人にもあって、形にされているということに安心した。(私がそれになるのは夫婦喧嘩とは関係ないぞ)

・人生は景色。生きている感覚を掴もうとすればするほど、どんどん遠ざかる。空っぽ。だから、心拍数が一気に上がるような経験(絶対しちゃだめな遅刻とか)をすると、おおおお~~~生きてるぜぇええええ!!!これこそが現実!!!!と興奮する。へへ、焦っていやがる。

・「私」を見つけようったってしょうがない。他の人から見える「私」は、コントロール外にあるんだから、どうぞごらんあれ、どうしようもなく、これが私です、としているしかない。私の内側の私だって、はてそんなものはあるのかや。
私の形を意識させるものは嫌いだ。締め付ける服。そんなものはどんどん脱いで、空に、海に、溶けて広がっていくのが心地いい。海の地平線を眺める時、私は海になっている。

・世界は私。私の脳みそは、無限の宇宙にだって広がっていける。カント、気が合うじゃあないか。外側は内側で、内側は外側に広がってるんだ。

・先人の言うことはみんなよく分かる。よい子の同級生に言われることも全部的を射てる。じゃあなんで二の足を踏んでいるのか。答えなんて、正しさなんてわかってるんです。分かっていてもできないのは、劣っているからだとまた重ねていわれちゃうんか。論破が上手だね、私の頭に住みつく虫は。
私はどう生きたいの。
どう生きたいの。



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