沈黙 - サイレンス - レビュー
遠藤周作「沈黙」を原作としたマーティン・スコセッシ監督の映画。
17世紀、キリスト教弾圧時の日本。
日本で棄教した神父の噂を聞き、弟子であるふたりの神父が日本に渡り、
切支丹たちと交流、布教を始めるも、やがて奉行所の人間に見つかり弾圧されていく様を描く。
奉行達は切支丹たちに踏み絵を迫るが、拷問され、処刑されることが分かっていても絶対にキリストの顔を踏まない。
切支丹たちは拷問されることに苦しむ。拷問を受けても神は沈黙している。祈っても祈っても沈黙している。本当に神がいるのであれば、ここまで人を苦しめることはないはずだ。信仰を疑いはじめる。神を疑いはじめる。
棄教をするか迷い、苦しむ。苦しみ、そして死に至る。
切支丹たちが拷問され、死んでいくシーンは見るに堪えない。ここまで人を苦しめる信仰の意味とはなんだろうか。信仰のために苦しみ、死んでいく。信仰とは人を救うためのものではないのだろうか。
切支丹ではない自分が切支丹のことを理解するのは難しい。
神様は八百万だと思っている日本人の自分が、キリスト教の信仰のことを理解するのは本当に難しい。信仰を捨ててしまえばそれで済むのになと思ってしまう。おそらく奉行たち日本人も同じように考えていたかもしれない。「形式だけだ、軽く踏むだけでいい」と切支丹たちを誘う言葉が物語っている。
信仰とは?神とは?
深く考えさせられる映画だった。
傑作。