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うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー

1984年に公開された、伝説のこのアニメ映画を最近観た。一つの単体映画としての完成度に感心すると同時に、他の同時代のアニメを、今見直しても得られなかった、ある種の「懐かしさ」を、強く覚えた。

私には原作の「うる星やつら」(以下「うる星」や、原作者の高橋留美子氏の原作の面白さが、昔から、今に至るまで分からない。ただ、日本を代表する漫画家の一人であることは間違いない。原作の「うる星」は1984年迄、連載されたが、この後も氏のほぼ全ての作品は常に大ヒット、その時代を代表する漫画の一つとなり、現在でも高い評価を得ている。画風や構成も、他の追随を許さないオンリーワンだと思う。熱烈なファンが多いのも、全く頷ける。

又、私は、この映画の監督である、押井守氏の作品も、今までほぼ見ていない。アニメ界では、宮崎駿氏と肩を並べる程のアニメーターであることは、知っていた。

そして、私は「うる星」の第1作目のTVシリーズ(1981-1986)を、リアルタイムのTV地上波で何度か見ていたので、「うる星」の各登場人物の役割や、相関関係は、事前に理解していた。

上記前提で、今回初めて「うる星2ビューティフルドリーマー」を見て思ったのは、当時の「熱い」情熱や、「楽しい」集団行事としての学校生活、学生視点から見た「社会」等、当時の良い意味での熱気が、鮮やかに描写され、劇中の中に保存されている点に、衝撃を受けた。一切の無駄を排し、不要な、陳腐な、現代では通じないような、無価値になった描写が一切ない。この点が凄いと思った。

宮崎アニメは基本的に、現実の社会を、余り描写しない。メインは架空の世界で、独自の世界観とルールがきっちり作られた中、話が進んで行く。この映画の5年前に、宮崎駿氏が監督した「ルパン三世・カリオストロの城」も、現実世界ではあるが、遠い西欧の架空の小国を舞台に話が進む。同年代に公開された「風の谷のナウシカ」も、完全に架空の未来が舞台の話である。

この映画の中の、当時のあらゆる「現実的な」描写、高校の文化祭前の学内の騒乱、深夜の静まり返った街並み、遠くに見えるネオンきらめく街の夜景、夏休みの情景等、今見ても、その描写全てに、古臭さをほぼ感じない。今ではもう全く見られなくなった、ラジカセや公衆電話の描写はあっても、映画自体に古臭さが、ほぼ感じられない。この感覚は、映画「2001年宇宙の旅」が、その当時やその後に作られた映画、更には今の現実と比較しても、所々のレトロ感はあるものの、陳腐さをほぼ感じない印象とよく似ている、と私は思った。

私がこの映画から受け取ったメッセージは、『「強く正しい信念」を以て表現したものは、時代を超える。ただし何らかの「身近な入口」は、必要』というものだった。この映画は、「うる星」の主題そのものを、劇中に提示していない、と私は思う。原作者の高橋留美子氏は「この映画は私の(うる星)ではない」という趣旨の発言を、何度かされている点でも、よく理解できる。各キャラクターは、原作及びTVアニメの設定に従った役割・立ち回りを演じているものの、この映画の主題は、彼らにあるのではなく、彼らを取り巻く世界、彼らを意味付けている世界、更には現実世界(アニメ内のそれではなく、当時の本当の現実世界)の切り取りにある、と私は見た。

押井守氏は、単に自身が作りかったアニメを、TVシリーズの統括者として、2作目(この作品は劇場映画の2作目に当たる)を、自由奔放に作っただけかも知れない。この映画の良さが、当時を知らない世代へ、今後どれだけ伝わって行くかも、私には分からない。ただ、当時の良い情熱や楽しさを、次へ継承して行きたい、という気持ちになれた点で、私はこの映画を、今観ることができて、素直に良かったと思う。この映画から派生した(とは言ってはいけないのかも知れないが)実写映画「ビューティフルドリーマー」が作られたのも、頷ける。自分個人の、記憶や体験を超えた継承ができるという点で、フィクションというものには、やはり大いなる価値がある、と改めて思った。

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