日記 10/30
今日はわりと普通に家を出れた。
あいつが1日社外の予定だから会社に行くのが苦ではなかった。
会社に着くとなぜかあいつが出社してきた。
なんでー!
業務が立て込んでるからと外出の予定をキャンセルしたらしい。
最悪。
午前中は後輩へ仕事を教えるのに夢中になって
午後はパワポ作業に夢中になって
ことなきを得た。
食堂で残業した。
まあまあ遅くまで仕事してそろそろ帰るかとデスクに戻ると
てっきりもうみんな帰ってると思ってたのにあいつがまだ残ってた。
興味深い3Dモデルを触ってたから、画面をのぞいて
「こんな遅くまで何してるんですかー」と話しかけた。
夢が詰まってた。
わたしの地元の駅の、将来設計だった。
まだ実現可能性なんて5%ぐらいの話。
図面なんてもちらんない。
99%妄想で、ここまでつくれるのか。
仲良かったころの話。
あいつは沿線のことを全然知らなかった。
だからわたしは地元の魅力をたくさんしゃべった。
わたしは本当に地元が好きだったから。
わたしの親がマンションを買うとき、競争率がやばくて抽選落ちまくりだったほどだから、わたしぐらいの世代の人がまだたくさん住んでるだろうってこととかも。
そしたら駅の再開発したいなって言ってきた。
いっしょにああしたいこうしたいって妄想をたくさんしゃべった。
今あいつは、市にお金を出してほしいと説明しに行くためにこれを作ってると言う。
多額の補助金をもらうには魅力的なビジュアルが必要だ。デザイン界隈では「シズル感」とも言う、強烈に惹きつけられるビジュアルが。
わたしが話したやつがいっぱい詰まってるやん。
本人は絶対そんなこと覚えてないし意識もしてないけど。
悔しい。
そしてこれを市に持っていくって?
あいつはいろんな部署に顔が広いし話を持っていくのが上手いから、それを利かせたんだと。
悔しい。
あいつのそういうところを尊敬してた。
それに助けられたことがたくさんあった。
でも裏を返せば「チャラチャラしてる」で、
そういうところが大嫌いだった。
人間、表裏一体なんだ。
最悪な気持ちをたくさん味わった。
でも最高な気持ちもたくさん味わった。
同じものを見て同じ温度で心を昂らせ興奮できる。
あいつはわたしよりも建築物の感度が高くて
わたしはあいつよりもアートの感度が高くて
相手が語るのを聞くのが楽しかったし
わたしが語るのを興味深く聞いてくれるのも嬉しかった。
名前のない、あまり知られてない土地の風景でさえ。
同じ景色を見て同じ空気を吸って同じ気持ちを味わって同じ興奮を語って隣りで目を合わせて。
この喜びを残したいって、一緒に一生懸命シャッターを切って。
最高に心が笑ってた。
あいつといた間は生きる意味はなんだとか考えたことなかった。
それぐらい生き生きとしてた。仕事でも。
共鳴して、うおおおおって滾るようなことが何度もあった。
生きる意味を与えてもらっていた。
自分にとっての「楽しい」はあいつにとっても「楽しい」だった。
あいつはわたしに生きる意味とか楽しさを与えるつもりで与えてたわけじゃない。
自分にとっての「楽しい」を追及してただけ。
だってわたしの「最悪」のときに本気で向き合ってくれなかったもん。
だからもっと「最悪」になってたくさん泣いたもん。
そんなやつに大した愛はないに決まってる。
わたしの敏感な感受性はあいつには愛がないと結論づけた。
実際思いやりとかデリカシーとかが欠落しててプライドが高くてクソガキだったとは思うけど
それも個性だと認めることはできなかったかなぁ。
だってわたしの基準でちゃんと愛してくれる人なんてこの世にはいないのよ。
大丈夫の殻の中にすぐ籠る、本当の自分を見つけてくれる人なんて親ぐらいしかいない。
だれにも期待しちゃいけない。頼ってはいけないんだ、わたしは。
最高な気持ちを考えると
最悪な気持ちもうまく消化しないといけなかったのかもしれない。
最高な気持ちと表裏一体なだけだったのかもしれない。
大きな最高と大きな最悪の、大きな波の中で生きるか
小さな最高と小さな最悪の、小さな波の中で生きるか
そういう選択なのかもしれない。
悔しい。けどすごいから
わたしは素直にすごいですねと言う。
頑張ってください、あんま無理しないでくださいよー、あ、チョコいりますか?と明るく言う。
チョコをあげてなるべくサッパリした感じでお疲れ様でしたーと言って帰った。
チョコをあげたのは、言葉にできないあいつへの気持ちをカタチで与えたかったから。
心の中は全然明るくもないしサッパリもしてなかった。
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