愛とは心の距離でそばにいたいという感情
愛とは、心の距離でそばにいたいという感情だと
前の前?の記事で書いた。
その考えには変わりないが、この記事ではもう少しいろんな側面から愛することについて考えてみたいと思う。
愛するとは、与えること
愛は能動的な活動であり、受動的な感情ではない。
愛は与えることであり、もらうことではない。
何を与えるのか。
与えるとは決して物質とは限らない。
物質とはすなわちプレゼントなどで、つまりお金である。
お金で買えるものをもらっても「愛がある」とは言い切れない。
それよりももっと重要なのは、
メッセージや言葉や行動を与えることである。
求められたからではなく、自ら考えて主体的にそれらを与えることである。
しかもそれは「与えてあげてる」という意識のものではなく、「気づいたら与えていた」というような意識のものである。
愛するとは、想像すること
主体的に言葉や行動を与えるためには、頭の中で相手のことを想像しなければならない。
相手の状況、今どんな気持ちか、
喜んだ顔、悲しんだ顔、、、
目の前に相手がいれば、
相手に対して主体的に働きかけて言葉や行動を与えることは比較的容易で
これは「気が利く」と捉えられもする。
小さな愛がそこにある。
愛の大きさが表れやすいのは、目の前に相手がいない場合だ。
遠く離れていても、連絡を取り合っていなくても、
相手のことを想像する。
本当に愛が深い人ができることである。
愛するとは、知ること
そして相手のことを想像するためには、相手のことをよく知っていなければならない。
こういう状況のとき、あの人ならこう感じるだろな
これをすると喜ぶ、
これをすると悲しむ
それをいつまでもどこまでも知ろうとする姿勢が愛である。
わたしたちは自分のことを知っている。
だが、どんなに努力してもほんとうの意味で自分を知ることはできない。
ましてや他人になんてできっこない。
それでも、相手という人間の、
いちばん奥にある芯に到達したい。
喜び、興味、理解、知識、ユーモア、悲しみ、
相手のなかに息づいている全てに触れたい。
愛とは能動的に相手の中へと入っていくことだ。
愛こそが他の存在を知る唯一の方法だ。
愛がある人かどうかの見極め方
①目の前にいないときに、言葉や行動を与えられる人であること
②愛とは特定の人間に対する関係ではない。ひとつの対象に対してではなく、世の中に対してどう関わるかという態度に愛は表れる。
だから周囲の人に対して愛をもって接している人であること
③何かを消費するばかりではなく、+に働きかけられるような、生産的なことに力を発達させられる人であること
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