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永遠とは何か -星空を見上げて-

今、紫金山•アトラス彗星が話題になっている。
「君の名は」で描かれていたような、
大きな尾をひく彗星が見られる。

それを撮りたくて最近は日の入り時刻に西の空をしきりに気にしていた。
そしてついに先日撮れた。

わたしは星空が好きだ。
今年の夏も剣山へ登り星を撮ってきた。

なんで星空が好きなんだろう。
このことについてはまた後日書くとして、
星空を見上げているときによく頭に浮かぶ言葉がある。
「永遠」である。

ファインダーをずっとのぞいていても、星が少しずつ動いているのが分かる。
地球が回っているのをリアルに感じる。

地球は自転をし、毎日日が昇り朝が来て、日が沈み夜が来る。
月は地球の周りを公転し、地球の影で満ち欠けする。
月が地球に及ぼす引力によって潮の満ち引きが発生する。

地球は一年で太陽の周りを一周し、そのため春夏秋冬がある。
毎年春になると桜が咲き、次につつじ、初夏にあじさいが咲き、真夏にひまわり、秋になると彼岸花が咲き、金木犀の香りがしてきて、もう少し深まると紅葉、、と1年単位で自然の営みが繰り返される。

毎日、毎月、毎年 繰り返される自然の律動。

しかしこれらは永遠ではない。

一日の長さは一年に0.000017秒ずつ伸びている。これは月が毎日満ち潮引き潮を引き起こすとき、海水と海底との間の摩擦が、地球の回転をごく微弱に減速させるからである。その反作用で月は角運動量を得て、一年に3.8cmずつ地球からとおざかることになる。それにともなって一月の長さも少しずつ伸びていく。(「銀河の片隅で科学夜話」より)

いつかは一日の長さが一月の長さと揃ってしまい、
地球はいつも同じ面を月に向けるようになる。
すると海外旅行に行ったときしか月を見られなくなるかもしれない。
しかしそうなるまでに恐らく太陽が月も地球も焼き尽くしているだろうと言われているが。

では、永遠とはなんなんだろう。

今、わたしたちの目に映っている星の光は何年も前にその星を出発したもので
もしかしたら今はもう存在していないかもしれない。

永遠とはむしろ星空を見上げる人間側の中にあるのではないか。

平安の世から
人々は自然の美しさに心動かされ
詩を読んだ。
自然を恐れ、祭りごとをおこなった。

まつりごとは“政”でもあった。
占いで政治をしていた。

人の心も生活も
きっと根底に「自然」があって
「自然」を介して全てがつながっている。
(進撃の巨人でいう、エルディア人が“道”でつながってるみたいな?)

時代が変わっても文明が変わっても
人々には娯楽が必要だし
戦争は終わらない。

秋っぽい空になってきたなとか
今年も彼岸花が咲いたなとか
春夏秋冬の季節の訪れに心動かされ
太陽が昇るとともに鳥がさえずり
人々が動き出し電車が走る
スクランブル交差点の信号が変わり人々が一気に移動する

そういう律動。

自然の営みが永遠というより
そういう自然を根底とした人々の
心の動き、生活の営みの律動の方が
永遠なのかもしれない。

そしてわたしは永遠だと思われるそれを
より良くしたいのかもしれない。
というより、すでに良くて、その良さにもっとフォーカスしたいというか。

公共のデザインがしたいというのは
そういうところな気がする。

うまく書けなかった😓

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