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許せない

 2017年、行定勲監督の映画『ナラタージュ』。私がこの映画を見終わって一番最初に口からこぼれた言葉。

 「恋」じゃない気持ちで、弱っている自分を助けてくれた未熟な子を手放せない先生の生温い優しさ。一番に想っていたい、その気持ちがいつのまにか彼女を超えて「なんで」の言葉が増える小野君の支配欲。芯は固まっていて想いもそこから動かないのに、忘れようともがく泉の行動。なんだか全部が相手のことを考えているようで独りよがりなもの。思わせぶりだってわかってて自分より弱い立場の子をずっと囲って心をつかまえているなんて、許せない。典型的なドラマのロマンチックなシーンで言いそうなセリフを甘く言っておきながら自分の理想と違う部分は見逃せなくて、自分と相手の温度差を受け入れず言いたい放題言って詰めて、豹変するところなんて、それを見せておいてあとから飴で相殺しようとする態度なんて、許せない。本当はずっとずっとひとりしか見えていないのに相手からの好意に浸かる選択をするなんて、許せない。気持ちだけにとどまらないで家にまで歩いて行ったり何回もあったり、最後だからって既婚者に体を預けるなんて、許せない。

 鑑賞するのすら辛く苦しく感じたけど、でもこれが現実なんだよなって腑に落ちる感覚もあった。心の中にずっと誰かが残っていて、別に誰と付き合ったから結婚したからってそれは消えるわけではなくて。自分の中にそういう人がいたら決して消したくなくて、むしろもう近づけない儚い苦しささえ大事で、いつでも懐かしく、浸ればずっと新鮮なままにしておきたくて。でも、そういう存在が自分の想っている人の中にいたら嫌で。

 エゴだ、と思った。でも、エゴじゃない恋愛はない。エゴって醜くて、隠したくて、嫌になって、パワーが強くて、価値があって、心があって、人間らしい。相手のエゴさえも許せる人になりたい。

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