自分の常識を疑ってみる
週末にTverでBSテレ東の番組「あの本、読みました?」を観ました。この番組ではゲストやテーマに沿って、作家さんや書籍についてトークが繰り広げられるのですが、今回は「本と東京タワー」というテーマで、「年代別に小説のなかで東京タワーがどのように描かれているか」について紹介されていました。
本番組によれば・・・
1990年代、江國香織さんの著書『東京タワー』では、東京タワーは「見守ってくれる存在」として描かれていました。
2000年代、リリー・フランキーさんの著書『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』では、東京タワーは「オカン」の象徴として描かれていました。
2010年代、窪美澄さんの著書『じっと手を見る』では、東京タワーは「磁石」という意味合いを持って描かれていました。この小説は私も読んだので、番組の解説を「なるほど」と納得しながら聞いていました。
2020年代、麻布競馬場さんの著書『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』では、東京タワーは「不幸の象徴」として描かれていました。余談になりますが、麻布競馬場さんの作品は、直木賞の候補作にもなっていたので、機会があれば読んでみたいと思っています。
同じ東京タワーなのですが・・・
「見守ってくれる存在」
「オカン」
「磁石」
「不幸の象徴」
・・・と全く異なる描かれ方をしています。
もちろん、これが全てではありませんし、「所詮は小説のこと」と言われれば確かにそうかもしれませんが、時代背景や作家さんの想いなど、様々な要因のなかで、同じものでも大きく印象が異なっていることは間違いありません。
この番組の趣旨とは少し違う話(内容は詳しく書きません)になるのですが、最近になって(自分への戒めも含め)私自身が改めて思うことがあります。
「人それぞれに考えや思いが違っていて当然。だから自分のなかにある『常識』や『当たり前』を少しだけ疑ってみること」
気のせいかも知れませんが、最近の傾向として「白黒つけすぎ」な気がするのです。
「AよりB!」
「絶対こっちが正しい!」
「それってダメでしょ?」
「そんなことに文句を言う人がおかしい!」
自分と違う意見に対して、(時には人格すら否定するように)真っ向から非難するような風潮に、少し怖さを感じています。要するに「世の中は白と黒だけじゃないよね」っていう話しです。以前にも話しましたが、アンミカさんの名言「白色って200種類あんねん」は有名だし、グレーや黒色だって同じことですよね。
「私はAだと思うけど、あなたはBなんだね」
「そういう立場から考えると、その考えもアリかも知れないね」
・・・という感じで、お互いに相手の考え方を尊重していくなかで、自分自身のなかにある「常識」や「当たり前」について再考することが大切だと、改めて感じています。
この記事を書いた夜、私の推しである井上昌己さんのバースデーコンサートが配信されました。毎年開催されているこのコンサートでは、小編成のオーケストラで昌己さんの楽曲が演奏され、その荘厳な雰囲気のなかで歌声と演奏を楽しむことができます。
このコンサートの見どころのひとつであり、多くのファンが楽しみにしているのが「東京」という楽曲です。オーケストラの音色と楽曲の歌詞、昌己さんの歌声が絶妙なハーモニーを奏で、多くの方々の涙を誘います。
この楽曲のなかにも「東京タワー」の描写があるのですが、「この楽曲で東京タワーは『(地方出身者の)夢や成功の象徴』として描かれているのかなぁ」と思いつつ、感動で目頭を熱くしながら配信を観ていました。