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カネボウのCMと化粧

「化粧なんて何のためにするのだろう、という人がいる。化粧でのどは潤せないし、おなかだって満たせない。それでも私たちは化粧をする。美しさのため?誰かのため?あなたは何のために化粧をする?」というナレーションとともに始まる、カネボウの新しいCMを見た。
映像には各国の伝統的な化粧をする女性たちが次々と映し出され、かなり多様性を意識しているように見える。人種だけではなく、年齢にも幅がある様々な女性たちが登場して美しい映像だなぁと見とれてしまうほどだ。

音楽の使い方もよく、感動を呼ぶような作りのCMになっている。

素敵なCMだなぁと思った。
最後の最後のテロップを見るまでは。
「生きるために、化粧をする。」という。

製作者側がどういう意図で「何のために化粧をする?」の答えに「生きるため」を持ってきたのかはわからないが、視聴者としては最後にものすごく大きな違和感を与えられた気持ちだ。

化粧をする理由は人それぞれ違うだろう。しかし、女性の多様性を強調するのであれば「生きるためにする化粧」という当たり前にある社会的前提を脱構築するようなCMを作ってほしかったと思ってしまう。

【ルールとしての化粧】

「化粧が楽しい」「自分のために化粧をしている」という人は多いだろう。私もカラフルな化粧品で自分の印象を変えるのは好きだ。
しかし、ポジティブな意味での自分のための化粧だけではなく、「面接では化粧をするのがマナー」「会社の規定で化粧が義務づけられている」「周りの知人に化粧してないことをからかわれる」といった社会的なルールに応えるための化粧をする人も多いのではないだろうか?
多かれ少なかれ、見た目でジャッジされる世界の中で、「女性の化粧=マナー」という認識が刷り込まれている人が多いように感じる。(その考えに賛成するかどうかは別として。)就職の履歴書でも写真が求められ、「キレイ」であることが有利だといわんばかりに、美白効果やプロのメークで作られた履歴書用の写真撮影がビジネスになるほどである。

どんなに楽しんで化粧をしていても、「しなければいけないもの」というある一定の「ルール」が存在している以上、それは他者から容姿に対して強制を強いられているという抑圧である。

自分が生きるために楽しんでいたとしても、生きるため(仕事を得たり、続けたり、昇進したりするため)に化粧をすることがどこかでルール化されていることは「生きづらさ」を作る仕組みではないだろうか。

【経済格差と化粧】

さて、「生きるために化粧をする」となると、「化粧をしていないと生きられないのか?」という斜め上のコメントをしたくなる。
というのも、化粧というのは無料でできるわけではない。化粧下地、ファンデーション、アイブローライナー、アイシャドウ、アイライナー、チーク、ブロンザー、口紅、グロスなど。ほかにも様々な種類のメイク用品にはすべて、お金がかかるのだ。
カネボウのCMなのでもちろんお金を落としてもらうためのものだというのは分かる。
しかし、「生きるためには化粧が必要」と言わんばかりのメッセージを発することは、メイク用品すら買うことに困窮している人々にとってどう映るのだろうか。
化粧だけではない。生理用品やストッキングなど、生きるうえで必要なマナーとされているものは他にもたくさんある。それらすべてのものは結局自己負担で購入しているのだ。じゃあやらなければいいという声もあるだろう。しかし、実際のところ女性が生理用品を使用せず生理の時には血を流したまま、脱毛していない状態でストッキングをはかず、ノーメイクで過ごしていたら、社会がどのようにジャッジしてくるかは目に見えて明らかだし、そのようにして過ごすには強い意志や思想が必要だ。
極端な例かもしれないが、テレビや雑誌に出ている「女性」のように生きようとするには、お金がかかるということだ。それを「スタンダード」だと思わないでほしい。

【コロナ時代の化粧】

最後にここ最近のリモートワークやソーシャルディスタンスによる化粧の在り方の話を少ししたい。在宅勤務になった友人たちと話していると決まって聞くのは「毎日化粧をしなくてよくなった」「最近ほとんど化粧をしていない」という言葉だ。
自分のためだけにしているのであれば在宅でも化粧をするだろうが、しなくなるということはやはり他者の視線や社会的なプレッシャーをどこか感じているということだろう。化粧品会社も打撃だろうなぁと思いつつも、「毎日のメイク」から解放されてうれしい女性は多いのではないだろうか。
ちょっと違う話になるが、私自身はもう10年ほど基礎化粧品を使っていない。朝も夜も石鹸で顔を洗ったらそのまま。ちょっと乾燥するときはニベアを塗るくらいで、特に肌トラブルで困ったこともない。
別に、ナチュラリストとしてやっているわけではなく、単に留学中お金がなかったので、基礎化粧品を使わない時期があったら、意外となくても大丈夫だと思い、今までそのまま来ただけなのだが、毎日化粧水、美容液、乳液、クリームなどを塗っていた時間と手間がなくなったのは楽になっただけではなく、「これがないとだめだ」と思っていたものから脱した解放感があった。
化粧は基礎化粧よりも「他者の目」が介入してくる分、違う側面があるかもしれないが、「当然するもの」からリモートワークによって「毎日しなくてもいいもの」に変わっていったときに、化粧に対する意識がどう変わるのかはちょっと楽しみだ。

とはいえ実のところ女性の容姿に対する社会的な強制や抑圧が存在しているなかで、化粧に対するプレッシャーが全くなくなることは当分ないだろうと思う。だからせめて、多様性を売り出す大手化粧品会社にはもう一歩、広い選択肢を提案してほしいと思う。

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