Wonder Woman 1984を観て
Wonder Women 1984が公開され、話題になっていたので見に行ってきた。珍しくIMAXで見た映画は、映像も音響も迫力があってとても面白かった半面、ちょっと期待していたものと違うなぁという印象を受けた。
実はWonder Womanの一作目を見ていないので、1984のみの感想となってしまうのだが、ワンダーウーマンをハリウッドで女性の監督が手掛ける。しかもその監督は映画「モンスター」を撮った監督だということを聞いて、どうしても「女性のエンパワーメント」や「社会構造を批判的に見る映画」としてのメッセージが込められているのだろう、という期待があった。
ワンダーウーマンはアマゾネスといった女性だけの部族出身のスーパーパワーを持った女性が、正義のために社会悪を正していくというのが基本的なストーリーである。
そのため、もちろん女性が主人公であり、強く、美しく、かっこいい女性が正義のために戦うという意味においてはエンパワーメントな映画ではあるのだろうと思う。
しかし、それ以上のメッセージ性を期待してしまっていたので、それだけであることに少しがっかりしてしまった。
さらに、主人公の女性(ダイアナ)に憧れを持つもう一人の女性(バーバラ)の存在は、様々な観点から「あれ?」と思わざるを得ないような描写が多かった。
【ルッキズムの許容】
例えば、バーバラはスミソニアンで働く学者だが、ヒールも履きこなせない地味でさえない女性として描かれている。そんな彼女が強くて美しいダイアナ(同僚)に憧れを持ち、彼女のようになりたいと「願いが叶うという石」に願うことから、男性にモテはじめ、強さと美しさを手に入れるというストーリーとなっている。
まず思うことは、博士号を持ち、専門性に富んで、スミソニアンで働くという社会的地位を得ながら、全く自己肯定感がない理由が容姿や社交性といった部分であることに、少し単純化されすぎているような感じが否めない。
さらに、願いが叶って「美しく」なった彼女に対して、パーティーで男性が、変化した彼女に驚き口説きつつも、ビタミン剤(何だったか忘れてしまったが)のようなものを薦めて、「君ぐらいの年齢だとそういうものを取った方がいい。若くいることは大事だ」といったようなコメントをしてくる彼に対して、彼女は「そうね」と同意するのだ。
ダイアナのようになりたいという「強さ」の中には、容姿や年齢で他人が批判してくることを押しのける強さは含まれておらず、むしろそういった表層的なもので守られた人が強くいられるのだといったような描かれ方に残念さを感じてしまった。
【お決まりのキャットファイト】
そして、最終的に強くなったバーバラとダイアナが戦うシーンがあるのだが、この構図はもう見飽きたと感じてしまうのだが、「女同士のキャットファイト」「分かり合えない女性」を描いていた。
特に、願いが叶う石によって世界を支配する男性は、ダイアナの説得と自分の子供のために願いを放棄することを選択するのだが、バーバラは最後までダイアナの説得に応じず自分の願いを放棄することを拒否するのだ。彼女のその後については全く描かれず、女同士で戦った挙句、結局わかり合えないままエンディングを迎えてしまっている。
もう少し、バーバラのキャラクター設定や描写を丁寧にしてくれれば、もっと面白いのに、と個人的には思ってしまった。
とはいえ、このようにつらつらと書いてしまうと、批判ばかりで駄作だったのかと思われるかもしれないが、そういうわけではない。
私はスーパーヒーローものはもともとあまり好きではない。ありえないコスチュームでひたすら戦闘シーンをみせられても特に共感できないことが理由なのだが、この映画はそこまで戦闘中心ではなく、ダイアナの心理描写や社会の様子なども描かれており、面白かった。特にトランプ政権下に作られている映画なので、「あぁ、これはトランプの風刺だろうな」というキャラクターや社会風刺なども出てきており、興味深く見ることができた。
同じ映画でも、見る人によって全く違う意見を持つものだと思うので、自分だったらどう感じるだろうかを確かめに、時間があれば見に行ってみてほしい。
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