365DAYS
2020年7月5日、 #テーゲル空港 から #ドイツ へ入国した。
がっらがらの飛行機で。
(その数ヶ月後に閉港してしまったのは少し淋しい)
入国できるかできないかが曖昧で、前日の夜は全然眠れなかったことを覚えてる。
書類の束とパグを抱え、入国できなかった時の引き返すパターンまで考えてた。
あれから1年が過ぎたと思うと、早いような気がする。
けど、過ぎていった1年を思うと、とても長かったような気もする。
なんだろな、この感覚。
かつて、 #ヨーロッパ へは一生行くことがないだろうと思ってた。
日本から旅行しようと思うと、まず何より日数が必要になる。
まとまった休みといえば実家に帰省していたし、
(ひとりっこの義務として1年に1度は帰らなきゃと思ってた)
ほんの数日の連休じゃスケジュールに無理があるし、
ずっと、 #興味はあるけど縁遠い場所 、だった。
2017年の4月、人生で初めてのヨーロッパ旅行。
#ベルリン と、 #パリ 。
パリで泣いたこと、よく覚えてる。
「ベルリンに住みたい!」と、あの旅行であつとは言った。
「すぐ感化されてそういうことを言う……」と、
ミッテのカフェで喧嘩が勃発したこともまたよく覚えてる。
(↓この数十分後に)
あの旅行の後で私は仕事を再開して、海外旅行そのものから足が遠のいた。
そもそも、海外に対してそこまで興味大な人間でもない。
人並みな興味はあれど、何がなんでも海外旅行がしたいんじゃ!程の熱はない。
ましてや住みたいなんて1ミリも思ったことがない。
それが今、縁遠いと思っていたはずの場所で暮らしている不思議。
ここでの暮らしは、私の人生を表してるのかもなぁなんて、ちょっと思う。
意思を持って選択をしてきたことより、
流れ流されたどり着いたことの方が遥かに多い。
気がする。
新卒で入社した会社を辞めた時と、東京から地元へ帰ることを決めた時。
それはそれは悩んで明確に強い意思決定をしたのは(自力で流れを変えたのは)、
これまでの人生ではこの2点に絞られる気がする。
(気がするばっかり言ってる回だな)
その渦中にいる時にも確信していたけど、
やっぱりこの2点が私の #ターニングポイント になっている。
ベルリンへの移住も、この人生におけるインパクトは強い。
たぶんコロナもセットで記憶に残るだろうからなおさら。
けど、ターニングポイントかというと、なんかちょっと違う。
その差はたぶん、強い意思決定の有無。
ここを目指してきたというよりも、気がついたらここにいた、の方が正しい。
とはいえ、それなりの覚悟を持って決めた海外移住。
ありがたいことに、実り豊かな経験をたくさんできていると思う。
井の中の蛙が、朱に交われば、な感じ。(どんな)
「日本に帰りたい!」って思う日が来るかもなって自分自身の予想は、
今のところ全く当たっていない。
ただ、今いちばん食べたいものは、日本のコンビニ弁当。
素晴らしき食大国日本。
ここでの暮らしで忘れてはならない、わんわんおじさんの存在。
自宅とスーパーの間でよく会う、名も知らぬ顔見知りのおじさんがひとりいる。
パグを連れて散歩をしていると、微笑みかけてくれる人がたくさんいる。
(微笑んでいるのか変な顔に笑っているのかは追求しないことにする)
わんわんおじさんもそのひとりで、
娘を見るたびに「わんわんわんわん!」と吠えていたのが、
私ひとりで歩いていても「わんわんわんわん!」と言われるようになった。
「Where is the dog?」とたまに英語で聞かれていたのが、
「Dein Hund?」とドイツ語に変わりはしたものの、
(↑私の拙い聞き取りではこう聞こえる)
基本的に「わんわんわんわん!」以外の会話はない。
4車線の道の向こうから「わんわんわんわん!」が聞こえる日もあるw
なんの接点もない地元の人とのわんわん交流が、なんていうか、好きだww
意思表示ははっきりするけど、日本よりもずっと人が人らしく優しいベルリン。
東京で歩いていて知らない人に声をかけられれば、9割はスルーしていた日々。
本当に困っている人には申し訳ないけれど、
大半は変な勧誘だったりするから身のためではあった。
わんわんおじさんとの交流は、この街だから生まれたものと思う。
何はともあれ、一生記憶に色濃く残る1年だったと思う。
この街がすっかり好きになった。
雑多で、適当で、スピード感は遅く、便利なようで不便。
言葉がもっとわかれば最高と思う反面、
わからないから最高なのかもな、とも思ったり。
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