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無駄に甘いジュース

根無草のような生活が2ヶ月目になった。
東京の宿を引き払って、実家に帰るも、2年の一人暮らしのあの快適さを知ってしまった私には、全ての行動が筒抜けの実家に長くいることは無理な話だった。

その後、神戸の友達の家に居候をして、家政婦のように家事をやっていた。
友達は妊婦さんで、できちゃった婚の準備に忙しそうだった。
「親になるってどんな気持ち?」と聞くと「全くわからへん、全然何も考えてへん!」と明るくいう横顔を見て、私はそろそろここを出るのかなという気がした。
なんとなく、仕事はしなくちゃいけないから、で仕事に行けて、そろそろ年だしと結婚して、子供ができてしまったから子育てをして、そういうことがなんの疑いもなく自然とできてしまうっていうのは、一体なんなんだろう。その地平がとてつもなく遠くて、心に小さなトゲが刺さる。

今いるのは、京都のシェアハウスだ。
元々女子大の寮だった建物で、久しぶりに一人部屋がある。
一人の部屋は、私を守ってくれる。その分、私に考えることを休む暇を与えない。音がないのが怖くて、Youtubeをつける。インターネットが不安定で、心がざわざわする。

近所のスーパーで買ったフルーツジュースが、無駄に甘い。
まだ近くにどんなコンビニがあるのかもわからない。東京で住んでいた高円寺はとても頼もしい街で、所属のない私をずっと生かしてくれた。真夜中のコンビニまでの5分にどれだけ救われていたかわからない。

食べるものがない。
昔から食べ物に頓着がなくて、でもコンビニやスーパーのお弁当では心が細ってしまう気がして、簡単な同じようなメニューの食事を作る。でも、私の料理はまずくはないけど、死んでいる。生きた料理を作る人は、生きるということが本当に自然な行為であるようで、羨ましいなと思うことがある。

生きるということにうまくアジャストしていけない。
そのことを負い目に感じながら、今日も生きていくことになんとかエネルギーを向ける。「かなこが死にたいというのがわからない」そういって去っていった彼のことを考えたりする。私には、前提に生きるということがあるスタンスが申し訳ないながら分からない。

暗い話をしてもしょうがないし、なんとか起きて今日を始めようとする。
最近は晴れが多い。そのことに救われている。
早くあったかくなって、控えめに桜なんて咲いたら嬉しい。

待ち望んでいた大学院生活さえも、今は不安の種に。
また未来に食われそうになる。
逃げなくてもいいけど、なんとかやっていこうね。



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Kanako Yamazaki
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