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私が日本で働く理由。

最近高校の友達とか、大学の友達に
"かなこは海外で働くんだと思ってた。"って言われるようになりました。

今は海外に出ることを必須条件と置いて就職活動をしていないので、そんな時は"うんー、日本で働くつもりー!"って答えます。

友達がそんなことを聞くのは、私が高校生までかなり海外に出たがっていたから。高校生の時の私海外で働くつもりだったなぁ、懐かしい。若い!笑

私の中で気持ちの変化が起こったのは、大学に入ってインターンを始めたことと、イギリスへの留学が大きな契機となりました。

大学一年生から始めた教育系ベンチャー企業でのインターン。
インターン先で毎日子供達と文字通り"向き合って"きて、この子って一体どんな子なんだろうって考え続けて、最終私が行き着いたところは

分からない。

でした。
言い訳のように聞こえるかもしれませんが、私にとってこれはポジティブな発見でした。勿論きちんと向き合ってその子の特性や、価値観、行動の傾向などは把握します。でも、授業ごとにちょとずつ違うその子の色が見えてくるし、その子の輪郭は常に世界と接していて、よせたり引いたりしてる。その輪郭に固定の線を引いてその子を見てしまった瞬間に全くその子でないものを見てしまっている。そんな感覚がありました。

大学2年の冬にはイギリスへ留学へ行きました。
大好きなシェイクスピアの故郷で大はしゃぎしていたのですが、日本人同士の何気ない会話になぜかモヤモヤしていて。

"イギリスでお風呂に浸かれないのはほんと不便!"とかとか。

単純に言うと〜って良いよね、悪いよねっていう会話。いいか、悪いかなどの判断基準って、日本人としての私たちの中にあるものであって、イギリスの文化や慣習を日本人の物差しで測って判断していることになります。私の心のモヤモヤはそのことに対する違和感と嫌悪感でした。そのようにしてるうちは、人は分かり合えないと思うから。

そのことに気づいてから普段無意識のようにする、物事への判断、というバイアスがかかるのがとても怖くて、ホストファミリーになんでも聞いて、同じように見よう見まねで同じことを継続してしたりしてました。日本人としての判断が入る前に、現地の習慣を自分の習慣にしてその上で何を感じるか知りたかった。自分の物差しでは分からない、測れないと思うから、相手の物差しを知りに行く感じ。

長くなりましたが、私はインターンでの子供との向き合いで感じたことも、イギリス留学中に感じたことも、一つの大きな気づきにつながっていると思っています。

人は違うから、分からないということ。

その上で、人種、宗教、国籍などの違いって良い意味でも悪い意味でも分かりやすい(一概に何をもってわかりやすいとするかにもよるし、分かりにくい場合も多くありますが。)のかもしれない。とも思いました。目に見えたり、あとは対立が社会的に現れてたり。
分かりやすいからこそ、自分の物差しで測ることの怖さを感じやすい。

私はむしろ、分かりにくい違いを見逃さないでいたいなってその時に思いました。日本人と日本人だって違うのになんか分かるのではないかと言うおごりが出たりすることってあるから。
あと、海外に興味があって、いろんなアクションを起こしてる人って沢山いて。海外はお任せしようかなって。笑
私は日本で、見過ごされがちな違いと向き合いたいし、みんな同じってまるっと括られて苦しむ人を見過ごしたくないなぁーと。今は思ってます。

なので私は日本で働きます。笑

後半長くて疲れてきて、言葉の選択と文の流れが適当なのはごめんなさい。

#エッセイ #コラム #大学生 #就活 #働く #イギリス #留学 #文化相対主義 #違い #海外

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Kanako Yamazaki
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