誰かといたいのに、一人でいたい。
”誰かといたいのに、一人でいたい”
この言葉に思い当たる感情がある人は、一体どれだけいるのだろうか。
この題名を見てnoteを開いてくれた人がいたら嬉しいな、と思う。
私はこの言葉を初めて耳にした時、自分の気持ちを怖いほど的確に表すその言葉に驚いて、少し嫉妬して、そして大いに安心した。
「誰かといたいのに、一人でいたいって感情は理解できる?」
事の始まりは、私が所属するコルクラボというコミュニティで「居場所」に関する本を作り始めた事だった。コミュニティを学ぶコミュニティとして、人にとっての居場所の再現性や重要性を体感しながら学ぶ場であるコルクラボ。その知見を活かして、「居場所がない」と感じる人に本を届けたい。そんな想いから本の製作が始まった。
そんな時コルクラボのバディと
「居場所がないとは一体どんな感情なのか」
ということを話していたら、彼が絶妙な言葉を紡ぎ出したのだ。
「誰かといたいのに、1人でいたい」
その言葉に、私は理解できる、と言うしかない心の動きを感じた。
いや、それは理解できるというより、そんな感情が確かにあるという感覚。でもそれは不思議な話だ。
なぜなら「誰かといたい」と「一人でいたい」は本来、同時に感じる感情ではないものだから。それらは全く正反対の現象を求める感情を表すものだ。
でも、私は頻繁に「誰かといたいのに、一人でいたい」のだ。
感情は理屈じゃない。
◆◆◆
「回避型?だよね?」
先日初めて行った病院で軽く診察を受けた後、先生からそう言われた。
「回避型」の意味はよくわからなかったけれど、文字の羅列からなんとなく言いたいことは分かるような気がした。悔しくも。
緊張しているのがバレたんだろうか。
無理した笑顔が頬に張り付いてたのか、それとも肩に力が入っているのか。おそらくそのどれもであり、どれでもないのだろう。
今までの病院で、初対面の先生に根掘り葉掘り自分のことを聞かれて、うまく話せず言葉が通じないストレスを重ねていた私は、その日もやはりとても緊張していて、そしてとても防御的だった。
心の前に握った拳を構えて、怯えたボクサーのように周りを伺っていた。
「回避型」というのは、愛着スタイルの一つだそうだ。
愛着スタイルは、「安定型」「回避型」「不安型」「混乱型」の4つに分類される。なんか聞いたことはあるなぁと思いつつ、その診断を受けたところ、私は「回避型」だった。
回避型は幼少期に適切な愛情を受けれなかったことなどが原因で、愛情の受け取り方がわからず、身体的、心理的親密さを恐れ回避する傾向がある。また助けを求めたり、人を頼ることが得意ではない。
恋愛関係においては、愛情が時間の経過を経ても継続することをあまり信じないなどの傾向が見られ、距離が近すぎると苦痛を感じる。さらに、過去のことをあまり覚えていなかったり、コミュニティを頻繁に移動したりすることもみられるらしい。
ある著書では、回避型の人たちのことを「絆が希薄な人たち」などと称している。(ちなみにこの愛着スタイルは4ヶ月で約25%変化するものであり、常に変わりうる。)
つまり、「回避型」は愛情をうまくやりとりできない人たちなのだ。
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