2023年初夏とワルキューレ



2023年、大好きな声優ユニットが活動を終える。

存在の認知はそれより前にあれど、明確に興味を持ち「好きだ」と自覚したのは2016年初夏だっただろうか。

もう随分経ったらしい。あっという間だった。


わたしは千秋楽、幕張の地には行けない。新型コロナの云々問題を挟んで、もう随分と遠征などしていない。
当時住んでいたど田舎(※引っ越した今の方が田舎)から東京へ向かう飛行機、何度乗ったことか。歌って踊る等身大に、何度感情を揺さぶられ、何度涙したか。何度恋をしたか。

最後を直接この目で見届ける夢は、もう叶わない。けれどどうにか愛を伝えたい。

なのでふと、深夜に思い至り、こうしてしたためている。誰の目にとまらずともいい、日記のようなもの。過去の自分のしょっぱい言葉を引用しつつ、自分自身の思い出に浸るためのもの。

とはいえ願わくは誰かの目にとまって、素晴らしい彼女たちのことを知ってほしいとも思う。願わくは……このツアーに参加されるあなたの目にとまったなら、わたしの恋心も幕張まで連れていってやってほしい。

とすると、やっぱりこれは
大好きな彼女たちへの送辞であり、ラブレターだ。



彼女たちのユニットの名は、「ワルキューレ」という。




※「ライブ直前、正午」「千秋楽を終えて」が追記分です。


・一度だけの恋なら/いけないボーダーライン


初めて聴いた曲は、この2曲だった。シングル。当時まだ音楽系サブスクに浸かっていなくて、TS○TAYAで借りてウォークマンに取り込んだ。

前情報もさほど頭に入っておらず、ただ「あのマクロスf以来の歌姫」と、斜に構えた気持ちで聴いた。確実に。

当たり前だけど、シェリル・ノームでもランカ・リーでもない歌声。アニソンっぽくない。なんだ。なんだろう。ズンと響く声。なんかよかった。


この印象的な歌声の持ち主が当時14、5歳だと知って、吃驚仰天した。


かの有名な人気声優・東山奈央ちゃんをこんな使い方するのか(歌割りの少なさ)、とも驚いたし、

お名前を存じ上げない中の人がひとりいて、とにかく可愛らしいお声だな、とぼんやり思ったのも覚えている。


この時のわたしには何故か歌声の区別がつかなかったふたりが(全然声似てない)

この物語とユニットを引っ張り続けた超時空ヒロインと、

わたしの人生史上最も眩しく最も美しく、最も強い熱量で恋することになる女性だとは、当時の自分は知る由もない。


初見ならぬ、初聴の折の感想は、この日のわたしが大変読みにくい形で纏めている。



ある深夜、「メッサー」という単語がTwitterのトレンドに上がったのをよく覚えている。

Twitterのトレンドに入るということは、良くも悪くも何かあるもの。


その日は、TVアニメ「マクロスΔ」、第10話「閃光のAXIA」の放送日だった。

わたしはここまでの流れを全然知らないまま、とにかく「メッサー」に何かが起こったことだけを知る。そしてそれが、結構な熱量を伴う展開だったらしいことも。


興味を持った。



2016年6月21日。繁忙期を乗り越え、かの夜から随分遅れて視聴開始。

ちなみにこの時の自分調べ推し予想は、ミラージュ・美雲・マキナだったらしい。

この日を境に、主な生息ジャンル(ネオロマンス)に関わる呟きと、マクロスΔへの呟きの比率がめちゃくちゃになる。まさかそれが数年に渡ることになるとは、露ほども思わない。


そこからは坂道を転がり落ちるが如くだった。とんでもないスピードでリアタイに追い付きハマり、更新される翌週のあらすじまでチェックし鼻息荒く当日を待っていた。

1st ライブはハマった時期が少し遅かったこと、繁忙期真っ只中であることが理由で行けなかった。

代わりにグッズを買ってほくほくしてみる。

余談だが、ワルキューレのライブパンフレットの中では群を抜いて 1st が好きだ。内容も、中の人~作品~キャラクター~楽曲までの塩梅が最高で、濃密かつ作品/キャラクター理解の深まること請け合い。

是非ともお手にとってほしい珠玉の逸品だと思う。


さて。


・2ndライブ


後に伝説と呼ばれる、追加公演 day 2。

次のライブこそは絶対行くんだ!と勇んで応募し、無事参戦決定。

その後追加公演が発表され、「どうせ連休で申請してるし!当たったら行っちゃお(^^)」くらいの軽い気持ちで応募、当選。

日を跨いでの通し参加も初めてで、ワルキューレの楽曲を生で聴けるのも嬉しくて、ついでに繁忙期を乗り越えたご褒美の気持ちもあって。


四国から海を越え、遥々横浜の地を踏んだ喜びたるや。(ちなみに生涯推しジャンルことネオロマンスもパシフィコ横浜を聖地に掲げているので、横浜に縁があるナァとしみじみ思った。)



しかして、2日目の公演を終えた自分を包んでいたのは、行き場のない悲しみで嘆きで怒りで絶望だった。大袈裟じゃない、本当の話だ。

恥ずかしいことに、敵意さえ孕んでいた。自分も含めて。

この素晴らしい、言い様のなく素晴らしいパフォーマンスができる彼女たちを、もっと拡がってゆける作品を、自分たちが殺したと思った。

応援の声も、露骨に申し上げると売上額も、何も貢献出来なかったのだと思った。恥ずかしく悔しかった。

5人を泣かせたのは、自分なのだと思った。


あの日の激情を、わたしはきっと生涯忘れられない。


この通り、情緒も理性も壊滅していた。

全身の毛を逆立て、全てに威嚇していた。


とにかく、あの日のあの涙こそがエンディングなのだと思い知らされたわたしは、失意のどん底にいた。

新作マクロスもどうでもよかった。(ごめん)


・とまらない、裏切らない、あきらめない

とはいえジャンル自体は動いていたので、
その後は悲しみを抱えながら、ワルキューレのコラボカフェに行ったり(感想をぷらいべったーに纏めてたんだけど文章消えてた)(前述の気持ちがあったので、どうにかして参加して、グッズを買うんだ!という強い心意気だったのは覚えている)、はたまた別作品に傾倒したりしながら過ごしていて、


5月末頃、衝撃の情報。


ワルキューレが作品を飛び越え、

「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2017」に出演。




とんでもない衝撃だった。


アニメ発のユニットが、(疎いわたしでも知っている)ロッキンに参加!

それも、あの涙のライブを経て、今!!


自分自身は行けないけれども、ワルキューレがまた一歩踏み出し、「とまらない」を実現した事実に飛び上がって喜んだ。


本当に本当に嬉しかった。


絶望が薄れた。




それから6月の「歌マクロス」β版テストプレイに参加したり(スクショめちゃ撮った)、やっぱり別作品に傾倒したりしながら迎えた、8月6日。


ワルキューレ、ロッキンフェス。


マクロスΔ、劇場版制作決定の発表。



悔しい、悲しいを心の底に飼ったままの半年間が、昇華された気がした。


何故、あのポテンシャルを以て「次」がない?

ぐらぐらと腹の中で煮えていた気持ちが、ようやく癒えたのを感じた。


どんな形になるのか、全容は勿論この段階ではわからないけれど、ただ感謝していた。また会える。きっと新曲なんかもあったりして、マクロスΔ、ワルキューレ、ハヤテたちキャラクター皆にまた会えるんだと。

また、あの日のワルキューレがすごく輝いていたと、公式レポートなどを通じて感じられて。彼女たちの歌は健在で、更に言えばこれからもっと高みへゆけるんだと。新しい色を見せてくれるんだと確信した。

嬉しかった。

でる魂(FC)イベントを経て。

マクロス海の家なんかを経て。


(いろいろ発表された時点で「絶対ある!」って信じてたけど)

3rd LIVE「ワルキューレは裏切らない」at 横浜アリーナ

開催発表


止まった、と思った瞬間が確かにあったんですよ。

なんて残酷なんだろうって。「とまらない」のに、そう歌わせたのにって、勝手に失望しそうになった。

けど、とまらなかった。



横アリは伝説の聖地であり、この時までは…なんだろう…悔しさの象徴の場所でもあった。勝手にだけれども。

そこに、またワルキューレが降り立ってくれて、わたしたちを呼んでくれたこと。

それが堪らなく奇跡のようで、「これは絶対に行くんだ」「横アリに行って、奇跡を見届けなくては」「あの涙を、上書きしなくては」と、これまで以上に強い気持ちで臨んだ記憶がある。




↑疲労と多忙に流され②までしか書いてない
でもこの時の気持ちと熱量だけは満ち溢れている

このツイートは、今日まで、もといこれからも
自分の中で貫かれる気持ちなのだと思う。

「とまらない」「裏切らない」と歌ってくれたこと、忘れない。

そして、ラストのラストの日まで、
ワルキューレ自身が彼女たちを裏切らずに
走り続けてくれたこと。歌い続けてくれたこと。
マクロスΔを生き続けてくれたこと。

ずっと忘れない。


3rdでもやっぱり演者聴者共に泣いたりしましたけれども。

その涙は、すごく優しくてあたたかくて、
安堵みたいなものもあって。

(↑「この時」=2nd)

もちろんこれは新型コロナ蔓延前の時期の話で、

ライブ中の声出しの一体感。
終わった後の、人がいっっっぱいのロビー。
笑顔が見えること。

そういうのを当たり前に享受していて、
自分の体験した記憶なのに、すごく羨ましくなる。

(とはいえ、ワルキューレ側も「今できること」を模索/実行し続けてくれていたので、その点本当に感謝しかない。)



その後、9月23日「ワルキューレ『扇情のプレミアムライブイベント』at 豊洲PIT」にて

・完全新作劇場版発表!

・クロスオーバーライブ発表!


という激アツ解禁があったにも関わらず、この日のわたしは1年間通してもMAXの繁忙期の最中にあったので、特にリアクション無し。悲しいことに、この日はわたしのお誕生日なのに、である。


お誕生日なのに!!!!!(キレ)

ただ、情報確認はしていて、自分画像フォルダ調べでは、日付が替わって即チケット抽選申し込んでいるので、なかなか強かであった。


5月4日には、NHKにて「全マクロス大投票」が放送。

マクロスΔ/ワルキューレを知らない方もきっと多く視聴なさっていたであろう中、我が推し、カナメ・バッカニアの代表曲「AXIA~ダイスキでダイキライ~」が歌部門4位に入賞。


これは本当に嬉しかった。


好きな歌に順位なんて関係ない、が本質ではあれども、それでも素晴らしいものが素晴らしいと評価されたことが嬉しかった。誇らしかった。


また、まだこの曲を知らない誰かに、歌声が届くことも嬉しかった。


初めてワルキューレの歌に触れたあの日のわたしのように、高揚し、驚嘆しながら、その扉を開いてほしいと思った。


この約1ヶ月後にクロスオーバーライブを控えていることも嬉しく、きっともっとワルキューレの歌が届くに違いない。とまらないんだ、と思った。



そうして迎えた6月。


初夏の匂いと共に迎えたクロスオーバーライブは、お祭りのような盛り上がりだった。


これまでの歴史を築いてきた諸先輩歌姫(?)方のパフォーマンスは敢えて言うのも無粋なほどに輝いていたし、やはり有名曲揃いで「凄い!これも聴けた!」…とキャッキャとはしゃいでしまう。


反面、「いつかワルキューレも、先輩歌姫になるんだな」「いつかマクロスΔも、最新作の看板を外すんだな」と、どこか淋しさも孕んでいた。


勿論ワルキューレのパフォーマンスはこの2日間も輝いていた。作品順という構成上トリの位置で、最初は(こちらが勝手に)プレッシャーを感じたりもしたのだが、エネルギッシュでフレッシュな魅力を、彼女たちらしく弾けさせていて、本当に楽しかった。


次の機会があったなら、この時他アーティストさまがたに感じた貫禄だったり、懐かしさだったりを彼女たちに感じるのかもしれない。それが楽しみでもあり、淋しくもある。


「絶対LIVE!!!!!!」という劇場版タイトルが発表されたのもこの時だった。タイトルからは想像できないストーリーだけれど、「6つの!」に想いを馳せたり、実際視聴するまで本当に楽しく盛り上がれた。


どこか庇護の目で見ていた自戒も含めつつ。

翌日は河森EXPO堪能。
歌い手だけでなく演者としてのワルキューレもやはり最高。



さて、わたしがワルキューレの姿を現地で拝んだのは、これが最後である。


来る「4th ライブ」か、もしくは何かイベントか。

劇場版もあるのだから、きっとまたすぐ会えると思っていたし。確信もしていたし。


まさか劇中のヴァール症候群よろしく、未知の症状が蔓延するなんて。行動に制限と不安が伴うなんて。ワクチンなんて単語を頻繁に見聞きするなんて。

思っていなかった。わたしも、きっと誰も。



2020年春、行くつもりでいたワルキューレ新曲イベントも中止になった。

「ワルキューレ LIVE TOUR 2020 」も開催見合せ。


正直自分含め周りが心配で気掛かりで、不安で、後ろ向きな気持ちで過ごした毎日だった。あんなにも、ゴールの見えない迷路みたいな日々ははじめてだった。


正直、不安だったこと以外はあまり覚えていない。

奪われたもの、それはいつ取り戻せるかもわからないもの。

特に、田舎住まいだったわたしからすれば、ライブ遠征なんてもう出来なくなるんじゃないか、としか思えなかった。


そんな中で配信された「エアワルキューレ LIVE TOUR 2020」。

ワルキューレに、エンターテイメントや歌という大きなものに背中を押された気がした。



それ以降も、ワルキューレたち、運営スタッフの方々は配信という形でわたしたちと繋がってくれた。


新しい情報を解禁するときも、一緒にいてくれた。

以前のライブ映像も、おしゃべりの輪の中に入れてくれるようにして一緒に見させてくれた。


救われた。


奪われたものばかりに目を向けず、こんなにも新しい手法で寄り添ってくれる、今/これからを見つめていようと思えた。


確かに、オタクたちの元気なコールが響かないライブは、ほんのちょっと淋しい。けれどその分、5人の歌声やバンドメンバーの演奏がよく聴こえる。


行けないのは悔しい。けれど、席に関係なく、5人の表情を堪能できる配信ライブもいい。


そうして気持ちを整理したり、よりよいものを発見したりしながら、世界はちょっとずつウイルスと共生するための線引きや仕組みを整えて。




ワルキューレ LIVE TOUR 2020-2021 ~ワルキューレはあきらめない!!!!! ~


どうしても現地参加はできなかったけれど、少しずつ、またあきらめない/とまらないワルキューレを見られて嬉しかった。

NHKの SONGS OF TOKYO も良かった。

そうして作品としては待望の劇場版公開。アルバム発売。


コラボアルバムの発売も経て、2022年春、

ワルキューレ LIVE 2022 ~Walküre Reborn!~開催。


わたしはひとりで、みるハコの画面を観ていた。


現地参加したときの、

隣から感じる熱だったり、始まる前の緊張感だったり、直接見える遠方のキンブレの光が波打って綺麗だったり、そういうのを取り払った、快適でひどく淋しい空間だった。


このライブもいろいろ不安を孕んでいたけれど、それらを払拭して余りある、良いライブだった。

闇キューレを経て、パフォーマンスの幅がグンと拡がった。

楽曲が増えて、1回のライブでは網羅出来なくなっただなんて、誇らしいこと!


けれども、淋しさもやっぱりある。

不自由さも含めた現地の匂いが羨ましい。


2nd ライブから駆け抜けた時間の、なんと瑞々しかったこと。熱かったこと。


素晴らしいライブを見た反動のように去来する気持ちを抱えて、カラオケを出たのを覚えている。



そうして訪れた、「Last」の文字。

わたしは引っ越しをしていて、それこそ以前のように気軽に都心には行けなくなっていた。

田舎のくせに、出身地は都心に飛行機でひとっ飛びだったし、空港へのアクセスも悪くなかった。ありがたかったんだなあ、しみじみ。




そんなこんなで、わたしは現地に赴くことなく


ワルキューレ FINAL LIVE TOUR 2023 〜Last Mission〜


を迎えることとなった。



1日目の感想などなど。

幸いにも、1日目のライブビューイングは大好きな友人と共に観ることができた。

遠征はいまだ出来ずとも、ひとりで観る記録はストップ出来た。それも、念願叶った相手と。

これは嬉しかった。

ライブが始まるまでの時間、ライブ中、ライブが終わって思い思いのことを言い合う時間まで。
そういう賑やかな時間が、好きだったんだな。


そうして人様の愛の熱を隣に感じながら、

やっぱり好きだなあ、と思った。


ワルキューレが、マクロスΔが好きだ。

努力を重ねて悔しい思いも重ねて、そうして磨き上げられたパフォーマンスの集大成に想いを馳せた。





東山奈央ちゃんの「さよならを言うためのツアーじゃない」という言葉に胸を打たれた。


ありがとうは、こちらこそなのに。

そう思って、このnoteの執筆を再開した。

どうしても、ワルキューレと共に過ごした時間を、救われた気持ちを、大好きなことを、残したかった。

ありがとうを詰め込みたかった。


ところが、

何回書いて消して書いて消しても、最後が思い浮かばない。
浅くて薄っぺらくて、何か違う。

こうして今、こちらは台風を乗り越え金曜日を迎えている。


多分書けないんだろうな、最後を見届けるまで。


なので一度、ここで一区切り。


ラストはありがたくもライブビューイングで観られそうなので、また日曜日の夜以降に、何か綴ろうと思う。


ワルキューレと過ごした数年間に、感謝を込めて。


・ライブ直前、正午


(巡り巡る気持ちの吐き出し口を求め、ふせったーに投下)
(いかに思いが昂っていたかが窺える)


あくまでわたし個人の思うことをつらつらと書くだけなのでご理解ご容赦願いたいのだけど、




2nd から今日に至るまでの時間は、夏の夜の夢ならぬ、冬の夜の夢だったのではないかと、たまに思う。


誰かと誰かと誰かと…たくさんの涙が重なりあって瞬きあって生まれた、夢の時間だったのだろうかと。


もちろん、今日に至るまでの全てはワルキューレ5人、制作スタッフの方々、河森総監督たちの努力と叡知と愛の結晶だ。


けれども、夢と思ってしまうくらいに、あの日の彼女たちの決死のパフォーマンスは、凄まじかった。ぶつけられた情念は凄まじかった。それらと同じだけ、確かにさよならを感じさせた。



たくさんの誰かの情熱が呼び起こした、夢みたいにキラキラな数年間。





わたしは、今日、夢から醒める。


彼女たちの歌をほんのちょっと遠く、イヤホン越しに感じる毎日が始まる。


本当かな。

もう今日なのか。

うそみたいだな。


そう思いながらも、別れを耐え難く思いながらも、「ありがとう」を言える機会に感謝もある。

曖昧に別れてそれっきりになるのは、悲しいから。


今日のパフォーマンスが5人にとって何点のものになるのか、なんてのは全然どうでもいい。ほんとに。もちろん当人にとっては満点以上じゃなきゃ悔しいだろうけど、でもいいんだよ。


わたしは、あなたたちに会いに行く。


「ありがとう」を精一杯伝えに行く。


それだけだから、ただ笑っていてほしい。

大好きな歌を聴かせて。


わたしも泣かないように、画面を一瞬だって逃さないようにするから。


一緒に歩ませてくれた時間、ほんとに幸せだった。楽しかった。


「最後」の次の日からも、一生懸命がんばるから。

安心して、おもいっきり歌ってほしい。


全部全部を思い出しながら、今日、あなたたちを見つめるね。


「さよなら」は言わないから。


でも、やっぱり、「まだ奪わないで」と、ほんのちょっとだけ思うよ。


ライブを終えたわたしの備忘録及び、取れたてほやほやの感想


・千秋楽を終えて


何日かの書いては消しを繰り返して、ようやく「ここまでだな」と思うところまで書けた。

これはもう、今しか書けないな。思い出したら苦笑いするかもしれない。そう思いながら。


じゅんなちゃんの歌声で、ワルキューレに出会って。

最初の、「えっ14歳!?」なんてビックリを、どんどん更新して。「えっこんな歌える?こんな声出る?生歌でここまでいける?」…を繰り返して。

今回の千秋楽では、もう言葉に詰まっちゃうくらい凄かった。喉じゃなく腹から声出す、なんてのを通り越して、全身を声帯にして、魂で叫んでた。

お目にかかろうと思っても、そう出会えるものじゃない。絶唱、この2文字がこんなにも活きることがあるか?


2ndライブでのフレンズとのお泊まり会のとき、「じゅんなちゃんはアニソンだけに収まっていい器じゃないんだ、もっと世間に気付いてほしい。もっと広い世界に羽ばたいてほしい。」…とみんなでぐだぐだ言ったのをずっと覚えている。


ほんとに、ほんとにそれしかない。今はもう立派なソロシンガーで、タイアップも重ねてきた。


でも、絶対こんなもんじゃない。


幼い時期を羽化で超え、きっと誰よりも綺麗な蝶になれるから。絶対なるから。

その時が、心から楽しみ。


…でも、また“末っ子”じゅんなちゃんにも会いたいな。


****


「みのりちゃんは表現力が凄いって思ってたんだけど、それだけじゃなくって、すごくたくさんの気持ちを内に持ってる。(だから豊かな表現ができる。)」


言葉一言一句が思い出せず悔しいんだけど(ニュアンスでよろしく)、これはちょっと、凄いなって思った。


これが言えるのぞみるは、もちろん他の3人への言葉も含めて、どれだけ皆を見てきたんだろう。どれだけ慈しんできたんだろう。

年齢やキャリアがバラバラの5人の中で、絶妙に真ん中辺りにいて、姉妹の手をそれぞれぎゅっと握ってたのは、絶対に彼女で。彼女がいなければ、5人は5人になれなかったんじゃないかって、本気で思ってる。


一生懸命で、緊張の顔してた1st。

それから、きっとずっと努力の日々。今はもう、あなたの歌声、パフォーマンス、笑顔のないライブなんて考えられないくらい、ユニットを牽引してて。ラストはすごくすごく、眩しかった。綺麗だった。割れた腹筋は努力の象徴だね。


いつか、また。

あなたの歌声で、ワルキューレワールドに、またわたしたちを連れていってね。ずっとその日を楽しみにしてるね。


****


生涯において、生で拝見することなんて絶対ないと思ってた。東山奈央。女性声優界での知名度たるや。

主役/ヒロイン級の彼女を、ここまで歌わせないってどういうこと?えっすごない?…デビューシングル、本気で思った。


でも、5人組ユニットの中で、なおちゃんは「レイナ・プラウラー」として燦然と輝いていた。


キャラクターで在り続けること。現状に甘んじず、更に上を見据えること。

彼女の姿勢は、素人のわたしにも伝わるくらい、真っ直ぐ芯が通ってて。プロフェッショナルとはこうなのだと、思い知った。何より、もちろんそれは5人あってのことだけど、彼女の姿勢そのままにワルキューレのパフォーマンス力は止まることを知らず、進化/成長を繰り返してきた。


どんな場面でも魅せるところは魅せ、タイムキーパーとして止めるところは止める。それが出来る視野の広さ、培った経験と努力の証。この人はほんとに、努力の人なのだと思う。


「終わりたくない」と、顔をくしゃっとさせたあなたも、とても愛しく思います。

17才教に入信されたそうなので、きっと未来でも変わらずお若く可愛いままだと思うけど…その内側で更なる進化を遂げたレイナΔ東山奈央に会えるのが、とても楽しみ。


****


芯の通っている女性だな、と思った。好感を持った。

そうして迎えた「閃光のAXIA」の、特殊ED含むたった5分の中に、カナメ・バッカニアの美しさがあった。その瞬間好意は頂点に触れ、燃えるように恋に落ちた。


CD音源とは違う、なんて言ったらいいのかな、化粧されていないとでも言おうか、けれども懸命に届けようとする歌声に。

メッサーの撃たれる瞬間を見た彼女の、呑んだ息のあまりの悲壮さに。


声優・安野希世乃の声の魅力に、恋をした。


ワルキューレは魅力的なユニットだしきっとどうあっても好きになったけれど、こんなにも深く愛したのは、作品としてもユニットとしてもカナメΔ安野希世乃がいたからだと思う。


ライブ中の、メンバーを見る柔らかい眼差しが大好きだ。見守るような、慈しむような。そうして響く安定感のある歌声。幾度のライブを経て、もっともっと好きになった。

他方で、ご本人はおっとりと柔らかいのに、誰よりも現実を見ている方だとも思う。もちろん熱量も、愛情も十二分に感じる。けれども、感情をいっぱいまで溢れさせるのを見たことはない。(それこそ2ndの「愛おぼ」が、溢れたものの最高位だったんじゃないかな、と思っている。)


それこそ、わたしが彼女となおちゃんに感じる職人気質は似ている。

ふたりの「姉キューレ」がしっかりと立っているから、3人がワッと泣いていても、大丈夫だと思える。不安にならない。きっと5人は崩れない。やり遂げる。(或いは、だからこそ3人は溢れる感受性をそのまま出せるのかも、なんて思ったりもして。)そう思える、強い柱。

やっぱり彼女はリーダーなんだな。支え、支えられ。いいユニットだよな。


大好きです、これからもずっと。

けどやっぱり、ワルキューレの一員の貴女が一等好きです。


****


「さようなら」を言ったのは、みのりちゃんだった。


ワルキューレのリーダーはきよのさんだけど、やっぱりΔ作品の座長は、鈴木みのりだったんだと思う。

それこそ学生の時分にフレイア・ヴィオンに出会って、初めてのことをたくさん積み重ね学び悩み、そうして気付けば彼女は、2ndライブのとき、あの辛く悔しい瞬間、誰よりも矢面に立っていた。言葉を選びながら、正直であろうとしてくれた。


誰の言葉よりも、悔しさが滲んでいた。



そんな彼女の、何度も「とまらない」「裏切らない」「あきらめない」を訴え続け、わたしたちに希望を与えてくれた、一番前を全速力で走り続けてくれた彼女の「さようなら」を、受け止めないわけにはいかない。誰よりも真摯で、誰よりも重くて、誰よりも前向きな「さようなら」。


「愛してる」の歌詞の、「大丈夫」の優しさが好きだ。大丈夫って、あなたが歌ってくれたから。わたしたちはもう大丈夫。ありがとうね。大丈夫だよ。


「特別な女の子に私をかえたのはあなただった」

フレイアにとってはハヤテだったけど、

みのりちゃんにとってはフレイアだったけど、


わたしにとっては、この平凡な視野の世界を、楽しくて嬉しい、特別な世界に変えてくれた人こそ、みのりちゃんだったよ。

ありがとう。きっとまた、フレイアの歌声を聴かせてね。


****


時に楽曲に寄り添い、時にキャラクターの心となり、歌声となり。いつしかバンド演奏が、ライブに行く、観る楽しみのひとつでした。

特にラストミッションでは、皆さんの音というものをより深く、近くに感じられて、とても嬉しかったです。

叶うなら、ワルキューレ再会の日、音を奏でるのは皆さんであってほしい。


バンマス、キーボード、ハーモニカ、譜面作成等々、西脇さん。(多才とはまさにこのことなのでしょう…!キーボードのみならず、ハーモニカのソロにも震えました。素晴らしいライブミュージックに感謝です。)

ベース、BOHさん。(低音の艶っぽいこと!立ち姿も綺麗で、いつも見惚れていました。また特番形式で、裏話など語ってほしい…!)

ギター、外園さん、黒田さん。(以前も綴ったので割愛ですが、おふたりのツインギター、最高でした。おふたりのそれぞれ趣の違う「歌う」ギター、素敵でした。)

ドラム、佐野さん。(あの細腕でどうして…といつも震えてしまう。力強く、絶えることない基盤の音。演奏中の表情と、ステージを降りてからの表情のギャップも好きです。)

そして、マニピュレーター、篠崎さん。

失礼ながら、今回初めてそのお名前、どういったことに携わる方なのかを知った。本当に失礼なことだ。バンドメンバーみんな好きだ、なんて言いながら。

奏でる音のそれぞれを、支える。ライブにおいての楽曲そのものを司る方。絶対必要不可欠じゃないか。それも初期からいらっしゃったというのに。


ワルキューレのバンドサウンドを作るのは、何もミュージシャンだけではないのだな、と知った。きっと名も、役割も存じ上げない(無知で申し訳ない)、けれどもなくてはならない方々がいて、珠玉のサウンドが生まれるのだと。きよのさんのお言葉ではないけれど、全ての方のご尽力で、歌声が音楽になり、素晴らしいライブに今まで出逢えていたのだと。

無知の知へのまたとない機会だった。関わったスタッフ、全ての方に改めて感謝申し上げたい。皆様のおかげで、情緒揺さぶられる得難い体験をいくつもさせて戴いた。


****


輝かしい楽曲の数々は、枚数にするとアルバム3枚(+シングル等々)と、決して多いものではないと思う。

けれどもこんなにも多彩な曲調、鮮やかな音と言葉の色彩。すごく豊かに感じるのは、ワルキューレの歌唱力やパフォーマンス力ももちろんだが、やはり作家陣の力によるものも大きいと思っている。

どの曲もアニメに寄り添い、キャラクターに寄り添い。魅力的な楽曲揃いだ。


取り分け3rdアルバム製作陣はこれまでの作家様方からニューフェイスまで揃っていらっしゃったけど。

正直、これまでの楽曲を経て「ワルキューレの楽曲の色」という幅が(音楽に疎いお前が言うな、なんだけど)自分の中にあって、その幅の内側を想定してたのに、それを全曲超えてきてしまって。(優劣ではないのですよ。イメージの幅、というのかな。)

それこそ闇キューレ楽曲も含めて、まだ楽曲幅がこんなに拡がるの?!って思った。ほんとに。


特に「唇の凍傷」なんてもう、カルチャーショック甚だしい。冬色の、氷の結晶が視界に煌めく。楽曲に季節(雪/氷)を感じることって、ほんとにあるんだよね。劇中に合わせてのイントロだけど、ライブに当てるとその長めの演奏が見事に緊張と高揚感を持ち上げていく。新しいワルキューレを、拡がりを感じる。


他の楽曲も、既にある「定番曲」みたいなものにしっかり横に並ぶ、名曲揃い。もちろん、劇中歌としての熱さ、エモさ、みたいなものがあって、の価値観でもあるんだけど。


それこそラストライブ千秋楽、という大舞台のアンコールが、3rdアルバムからの楽曲というのも凄いと思っていて。年数分の思い入れ深い楽曲が来るかな、なんて最初は思っていたのだけど、蓋を開ければあの曲たちしかないな、と納得しかなかった。

それは物語が牽引したパワーでもあり、楽曲の持つ魅了でもあり。

とにかく、本当に本当に、最後にまた凄いアルバムに出会えたこと、本当に嬉しかった。

既存曲も、何ならサウンドトラックの曲たちも全部全部。出会えてよかった。これからも耳元にいてほしい、珠玉の音楽。宝物だ。


****


出会って最初の頃、わたしは5人を「程よい距離感」と称した記憶がある。仲間で、ライバルで、程よい緊張感のようなものを感じていた。それがすごくプロフェッショナルな匂いがして、いいな、と思っていた。


けれど月日が流れ。

冗談を挟んで笑う5人が。プライベートやリハーサルで一緒だった話をさらりと言う5人が。一緒になってはしゃいでしまう5人が。

涙混じりに抱き合い、額を寄せ合い歌う5人が、あの頃よりもっと好きだ。


絆だと、わたしが語るには何もかも足りないけれど、

確かに見えない糸が5人を繋いでいて、距離がぐっと縮まった姿を、愛しく思う。心から。

そんな関係を垣間見せてもらえた時間を、一層愛しく思う。



わたし個人としては、

ワルキューレ5人とも「from WALKURE」 であってほしいけど、やっぱり何より、元はひとりの声優/シンガーなので。


もっと高みを目指してほしい。もっとたくさんもっと豊かにもっと大きく、お仕事に携わってほしい。

ご自身の夢をどんどん叶えてほしい。

或いはひとりの女性/人間として、生きる道が鮮やかであってほしい。


そしてふとした瞬間に、「ワルキューレとしての活動があったから、ここまで来たんだなあ」なんて、振り返ってほしい。未来の彼女たちにとって、大切な轍になっていてほしい。


そしてそして何年後かに、今以上に大きな存在として、伝説の「先輩ユニット」として、またワルキューレの声も聴かせてくれたら…すごく嬉しい。


そう思っている。これは祈りだ。願いだ。




これにて、卒業論文兼ラブレターを、やっと終えられるわけで。


愛を通り越して執念並々ならぬ文章だなァと、振り返り思う。

放送当時は20台半ばだったわたしは今や30歳を悠に超え、しかし今の今までここまでの感情を滾らせ続けられたコンテンツに出会えたことを本当に光栄に、誇りに思うし、これからも永く愛し続けられたらな、と思っている。


最後に。


年齢や生活の変化に伴い、きっとオタク活動の在り方なんてものは流動的に変わっていく。わたしだってそう。最後の最後は現地で絶対見るんだって息巻いてたけど、それは叶わなかったし、かといってそんな自分を呪うつもりもない。もちろん行けるものなら行きたかったけど。


だから、推すのが遅かろうが全通出来なかろうがガチャ100連出来なかろうが、自分を呪うなよ、オタクたち。わたしなんて映画館で謎エラー出て結局デジタルガチャ回せなかった。情けない。


けれども。けれども。愛は長さだとか額面だとかそんなんで測るもんじゃないんだけど。矛盾したことを言うんだけど。


でもやっぱり、ここまでワルキューレを、マクロスΔを見届けられたのは、ΔTVアニメ放送以前、それこそ発表初号以降長きに渡り応援された先人の皆様、取り分け先代以前のシリーズを深く愛し、「マクロス」というコンテンツに愛と情熱を注がれた先輩ファン諸兄のお陰だと思っています。


本当にありがとうございます。


わたしも、皆様に倣い、少し遅れて約7年。自分なりの愛を注いで参りましたが、皆様の応援なくしてはきっとこの8年は無かった。悔しい辛いも乗り越えこんなに楽しい日々を過ごせたこと、まさしく望外の喜びです。


そしてまた、わたし自身も、尊敬され得るマクロスファンで在りたいと。マクロスシリーズの灯を絶やさぬ、一本の薪になれるよう、これからもささやかですがシリーズを応援出来たらと思っています。次シリーズへの歩みを、共に見守ってゆけたら光栄です。



マクロスΔ、ワルキューレ。


宝物の日々をありがとう。

淋しいけれど、再会を心から願い、そっと頁を閉じます。


銀河に女神の祝福を。

2067年に生まれる星を楽しみにしています。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?