#15 May~彼女のための物語
弊社の社内には小さな図書館に迫る規模の資料庫がある。
もちろん電子データベースも存在はするが、こうして紙の本という形態で保管してしまうのは……認めよう、私の趣味だ。
「また“お持ち込み”ですか?」
恐る恐る振り返ると蔵書管理担当が「いたずらっ子をみつけた」とばかりにニヤニヤしている。
「内緒だぞ」
彼女に小声で釘を刺し、両腕に抱えている本を「社長文庫」と勝手に名付けて占有している床に近い方の段にこっそり収める。
割くことのできる時間はあまりないが読書は数少ない趣味の一つで、ふらりと出かけた先の書店に入って「いつか読む本」を購入するのも病気の一つだ。
この病気は自宅管理担当に大変ウケが悪く「本を買うならご自宅の書棚に空きを作ってからにしてください!」と宣告されている。そして、スペースを確保するために考案した「社長文庫」は秘書室長にも大変ウケが悪く、見つかるたびに「場所をとるものには『家賃』が発生してしまいますからね、ええ」と、青筋を立てられている。
「わたしは蔵書が増えて嬉しいですよ」
いたずら仲間のように「にひひ」と笑う彼女に謝意を込めて笑み返し、私は「社長文庫」を覗き込んだ。
そこには、自宅から持ち込んだ懐かしい背表紙が並んでいる。
子供の頃に手垢まみれにした一冊。
思春期の頃にはまった作家のシリーズ。
起業する時に噛み砕いて頭に叩きこんだ法令集。
どの時代のそれにも、一筋の思い出が流れている。
「うーん、やっぱり……ないか」
私はずらっと続く背表紙を眺め、首をひねった。
記憶をひっくり返しても見当たらない一冊がある……ように思える。
どんなタイトルだったか忘れてしまったが、手のひらに収まる大きさで、馴染みのいい革の表紙のそれは、とても気に入っていた一冊だった。
ここに持ちこんで宝物を隠すようにそっと収めたはずのその本が見つからない。
(……持ってくるんじゃなかったな)
あまり後悔しないし固執する方でもないと自覚していても、その本のことだけはどうしても割り切れない。
「いつもお探しの本ですよね。どんなタイトルですか?」
蔵書管理担当は「概要を話すだけでどんな本でも見つけ出してくれる」という特技がある。彼女に話せば、この広大な資料庫の中から見つけてもらえるだろう。しかし―――。
「歳のせいか思い出せないんだけど……とても好きだった」
ため息混じりにそう言うと、なぜか彼女は花咲くように笑った。
「その本は幸せ者ですね。社長にずーっと好いていてもらえるんですもの」
「年寄りをからかうんじゃない」
彼女のその言い草に照れくさくなって立ち上がると、背中から自信満々に言ってきた。
「『今』じゃないだけです、きっとまた、会えますよ」
励ますようなそれに、私は肩越しにひらひらと手を振って資料庫を出た。
その私を待っていたかのように、廊下の向こうから本日の担当秘書が駆けつけた。
「社長っ、またお一人で……こんなところにいらしたんですね」
「一人じゃないさ、蔵書管理担当も一緒だったよ……さぁ、次のスケジュールは何だったかな?」
本を持ち込んだことがバレるんじゃないかと冷や汗をかきながら先を行く私の背後で、本日の担当秘書が「蔵書管理担当……って?」と小首をかしげていたことを、私は知る由もなかった。