#16 カクテル1
弊社には各フロアにフリーコーナーを設けてある。
弁当を広げたり飲み物を提供したりミーティングできるようにテーブルやカウンターが出してあって、部署によってはケータリングを頼み、プロジェクト達成時は打ち上げなんかも催したりするらしい。
ある日の終業後、スプリングシーズンを控えて各フロアで特色の違うデコレーションをしていると聞いたので見て帰ろうとしたら、あるフロアのバーコーナーで飲んだくれている彼女と出くわした。
「もーぉ、聞いてますかぁー?」
社員に対しては終業後、退勤処理をしていればフリーコーナーでのアルコールの摂取も制限していない。
勿論「キープ節度」だが。
彼女の隙をついてこっそりカウンターの流しに放置してあるステアスプーンの味見をすると、飲んでいると主張している「カルアミルク」は「ホワイトルシアン」だった。
見た目は似ているがアルコール度数の違うこのカクテル。度数の高い方を飲んでいることを考えればこの酔いっぷりはさもありなんと言ったところだろう。
「わたしみたいな末端のいち社員は、秘書室のスーッとして、キラキラーってして、高給
取りの美人さんたちみたいにはなれない~ってことなんですよぉ」
いい感じに飲んだくれている彼女は所属する組織の長である人間の顔を覚えていないようで、口をとがらせて愚痴を吐き続けている。
「そうかな……君は持っている資格を生かして、部署内でも期待されている仕事ぶりだって聞いてるけど?」
事実人事部から上がってくる考課報告の情報では、同部内でも彼女の成績水準は高く評価されているはずだ。
それでも、彼女は憤懣やるかたなしと言う顔でバーカウンターをドンと叩く。
「仕事は楽しいんですっ! でも、結局、女ってのはその……秘書さんたちみたいに『社長のお気に入り』にならないとダメって……だから負けてるんだって……」
誰から聞いたのか、まことしやかに囁かれる「秘書室に入ると社長の毒牙にかかる代わりにいい思いができる」なんて都市伝説を真に受けているらしい。
そういう類の話を耳にするたびに、世間の気楽さと愚かさにため息が出る。
「君は秘書課のスタッフと直接仕事をした経験はある?」
「え……いいえ?」
「人から聞いたゴシップじゃなくて、一度直に仕事をしてみるといい」
キョトンと見上げてくる彼女に微笑みかける。
「彼女たちの仕事ぶりは性別なんてつまらない枠にはまらない。自由でクリエイティブでタフなんだ。きっとびっくりすると思うよ」
脳裏をよぎるエピソードのアレやコレやを思い出してつい苦笑が漏れる私に、見上げる彼女のまなざしはとろけていて。
「いいなぁ……」
うっとりとつぶやく彼女の背後―――フリーコーナーの向こうでひょこひょことこちらを伺う男性社員は、おそらく彼女に「ホワイトルシアン」を進呈して劣等感を植え付けた不届き者だろう。
彼は社長の顔を覚えてくれていたらしい。こちらを見て青ざめる彼にアイコンタクトで去るように指示すると、一目散に姿を消した。
「あの……」
彼女の声音に艶めくものを感じた私は、紳士的に笑って席を立った。
「君に貴重な経験を提供するよ。実際に体験したことをぜひ今後の糧にしてくれ」
去る私と入れ替わりで、控えていた秘書の一人が優し気に彼女に近づいていく。
きっと酔っぱらいの子猫ちゃんを無事に家に届け、丁重に対応してくれることだろう。
その結果、彼女が弊社の頼もしき秘書室の面々に対する偏見を払しょくしてくれることを願い、私はその場を後にした。