【絵本 あさになったので まどをあけますよ】
【並べて楽しい絵本の世界】荒井良二②
「わたしの町は、今日は晴れています。
窓を開けました。」
そうお返事をしたくなります。
2011年。あの大震災の後、画家は幾たびか東北を訪れて、自分は何のために、誰のために何を描くのか、と自分に問いかけたそうです。
大学生の青年が、一点ものの絵を描くことではなく、絵本を描きたいと思った、そもそもの衝動は、
絵本ならばいっぱい絵を描くことができて、そこには言葉も入れられる、そしてそれが大量に印刷されて、自分が知らないところへも運ばれる・・・それこそがポップアートじゃん!かっこいいなー
と思ったからだと語られていました。
それまでどちらかと言えば、描くのが早かった荒井さんが、あの年を境にとてもゆっくりとしか描けなくなったと、おはなししていました。
この絵本ができあがるまでに、放りだしたり近づいたり、何倍もの時間がかかったそうです。
「おだやか?心やすらぐ?なのに本人は落ち着いていない」
(NHK ラジオ深夜便 より)
震災後、私たちも、次々と飛び込んでくるニュースに声を失いながら、しばらくそんな気持ちで過ごしていたような気がします。
聞こえてくる東北の人たちの言葉に、遠くに住んでいた私たちは、何もできないでいました。
夜がこわいという人々の声を聴いて、荒井さんが考えたこと。
朝を追いかければいいかもしれない
ここに描かれているのは、いろんな場所で、都会や田舎で、私たちが住んでいる場所で、毎日窓を開けて朝をむかえる風景。
そして、
「やっぱりここがすき」とくりかえされることば。
「あさがきたので まどをあけますよ」とくりかえされることば。
そして、あふれるばかりの色彩と、光です。
自分の手で窓を開ける元気がないときに、誰かにそう言ってもらえたら、どんなに心がやすらぐでしょう。心からありがとうと言いたいです。
そして、ゆっくりとでも、窓から外をながめ、いつもの風景がそこにあって、やっぱりここがすき って思っていいんだと気づけたら、歩き出せる。
そんな気がします。
2011年の奥付が欲しかった
長い間読み継がれるものにしたい
長く愛されるものでなければ2011年という奥付の意味も効いてこない
風景をいっぱい描きたかったという荒井良二さん。
今の未曽有のパンデミックの中
この本を開いて 明日も自分の手で窓をあけよう
そう思います
荒井良二さんの他の作品について書きました