誰にでも同じように感じてもらうことは難しいのかもしれません。それこそが個性であり、人間であり、動物であるということなのでしょうか。 新型コロナウィルスという ”死” を現実的に突きつけられた感染症が拡大しているなかでも、天気の良い休日に屋外とはいえ観光地は人で溢れています。 屋外に出たい欲求都心で暮らしていると、やはり人間に適した間(ま)があるとは言い難いのです。窓を開けていなくても騒音が聴こえ、カーテンを閉めた夜も少なくない量の光を感じる。果たして、動物として心地いい環境
5月15日は日本最古の祭事”葵祭”。 平安時代には祭といえば葵祭のことであり、いまも勅使が参加されている由緒ある祭祀です。今年は残念ながら、露頭の儀は中止となりましたが、神事は滞りなく催行されたようです。 この祭祀は、京都にある上賀茂神社と下鴨神社で行われていますが、葵祭に使用される葵という植物が境内に生えているのが、街からは少し北に離れた上賀茂神社。物の怪の気配さえ感じる静謐な空間に、春の訪れとともに芽吹き、晩秋には枯れて葉を落とします。 もとは葵のことを”あふひ”と書
これからというテーマで話し合うことが多くなってきました、これまでは感染への対処や対症のありかたについてだったものが明らかにフェーズが変わってきたことを実感しています。 環境も立場も違ういろいろな方の考えをオンラインで聞いたり、話したりするなかで自身ではこれから大切だと確信しているものがあります、それは仮説をつくれるかということ。 研究者は、「これがこうなんだからきっとこういうことではないか?」という仮説の基に必要な処方で検証するということを積み重ねています。まずは、仮説が
宮崎駿監督作品「もののけ姫」での印象的な台詞。 「サンは森で、わたしはタタラ場で暮らそう。共に生きよう」。 封鎖そして自給は未来なのでしょうか社会の仕組みが変わる、といわれている現状。その混沌とした最中を生きている私たち。感染を抑制するために、他国からの入国や国内での移動も制限しています。これまで製造を他国へ依存していたものを国内生産へと切り替えようとしています。これは建設的な自給社会への道なのでしょうか。 過去と未来、そして混沌あたりまえですが過去は消すことができません
大切なかたが逝った。 会社員時代の社長、そして親友の父。 会社を離れたところでも、お会いさせていただく機会があった。 親友の父とはいえ、一介の会社員である僕にとっては雲のうえのかた。 親友の結婚式では、わざわざご挨拶をいただいた。 プライベートな会食にもお招きいただいた。 受け容れることが大切だ。 清濁併せ呑む勇気が必要だ、たとえ濁っていると解っていても。 そのように助言をいただいた、その時の空気感、いまでも鮮明だ。 その言葉は、僕の明訓であり続けている。 豪快にカッカッ
いつも歩いていた道、いつも見ていた景色。 考えるでもなく、あたりまえに過ぎていた時間。 すべてが愛おしい、あまりにも。 毎日届けられるネガティブな数字。 それを見るたび心は沈む。 これがあたりまえになるのだとすれば、耐えるには重すぎる。 ここから学ぶこと、あたりまえはないということ。 毎日が、毎時間が、多くのことが重なり合った貴いもの。 それらは、同じようでも同じではなかったことに気づく。 批評するということが、とても空虚に感じる。 求める事さえ、無意味に感じる。 この
神奈川県三浦半島の小さな駅前のスーパーでのこと。 感染症の影響でマスクや消毒液だけでなく、一時的にトイレットパーが店頭から消えた、その時に同時に消えたのがキッチンペーパー。 店頭には、キッチンペーパーはおひとりさまひとつだけという注意書き。 僕は食料品を買ってレジに並ぶと前には杖をついたおじいさん。 おじいさんが会計をしようとしていたら、レジ係の人が キッチンペーパーはおひとりさまひとつまでなんです と、諭していた。 係の人の言葉には棘はなく、こんな事態だから我慢してね、
2020年3月30日に56回目のサクラを体験したことになります。もっとも0歳の時から物心つくまで、サクラの記憶は親族が集まったりしていたというおぼろげなものしかありません。また住んでいた周辺には、たくさんのサクラが在ったので、わざわざ観に行くという特別なものでもありませんでした。 ただ2020年のサクラは少し違います。春の訪れを告げたのはサクラではなく、ウィルスでした。こんな事態にまでなると想定していなかったのは僕だけではないと思います。大変だとは感じていても対岸の火、こち