【ネタバレ】デア・クルムベガシュヴィリ『BEGINNING ビギニング』従順と自己犠牲についての物語
大傑作。簡易な講堂の中に徐々に人が集まり、彼らを前にスライドを使いながら説教を始めるダヴィド。10分近い長回しは画面手前に火炎瓶が投げ込まれることでかき乱され、人々は混乱しながら外へ出ようとするが、我々に見えるのは絨毯の上に広がる炎と叫び声ばかりである。そうして焼失した講堂は荒野のど真ん中に建っているものだが、彼らがエホバの証人であるがために、近隣住民からの評判も悪いらしく、地元の警察はこの何度目かの妨害行為に対して、なんら有益な解決手段を持ち合わせていない。講堂再建のためにダヴィドが家を去る前夜、彼の妻ヤナは彼にこう投げかける。"何かが始まる、或いは終わるのを待っているような感じがする"と。しかし、ダヴィドは全く話を聴かず、何年も前からヤナに押し付け続けてきた夢や理想を今一度語り、それには"妻"の存在が不可欠であることを繰り返し訴えて言いくるめようと躍起になる。自らの体裁と出世のためにヤナを再建活動に連れて行こうとするが、ヤナは息子ギオルギと共に自宅に残る決意をする。
映画はワンシーンワンカット、全てのシーンでフィックス長回しが採用されており、かつスタンダードサイズ(1:1.33)なので、一つのカットが非常に長く窮屈で、しかも非常に静かなのだ。実にカンヌっぽい(ようやく現れた!)。孤立した宗教的マイノリティからすら孤立したヤナの存在は、静謐な画面の中で更に孤立させられ、更なる沈黙へと導かれていく。数回訪れるパンによって孤立から脱することもあるが、それによって得られる繋がりは信頼に足るものでも、彼女を根本的にも表面的にも救い出す類のものではない。象徴的なのは、やはり森の中で横になって死んだふりをする10分近い長回しだろう。鳥のさえずりや近くに居たギオルギの声が次第に遠のいていき、本当に死んでしまったかのような時間の中で、彼女の身体に降りかかる木漏れ日だけが移動し続けるという奇妙な時間は、ヤナのある種の生まれ変わりのようにも捉えられる。
パンによる得たくない繋がりとして、観客に強烈なダメージを与えるのが、アレックスという男の存在である。トビリシから派遣された刑事が事件の仲裁にあたるとしてヤナは彼を家に招き入れる。しかし、彼=アレックスは刑事ではなく襲撃犯であり、刑事として性的な質問を暴力的に投げかけて彼女を無理やり屈服させる。パンは質問を浴びせられたヤナが、ソファに座る男の横に行かざるをえなくなる際に用いられ、これによって彼女は最悪な形で孤立から引きずり出されることになる。アレックスは宗教的/地域的不寛容、ミソジニー、社会権力を具現化したような人物であり、彼の影は冒頭から終始付きまとう。アレックスはラストで石化して崩れ去ることから、ある種抽象的な存在であることが伺え、ヤナ自身も彼の存在や行為を、信心が揺らいだ自分自身への"罰"のようなものと認識しようとしているようにも見える。ただ、そうするとヤナに対するレイプまでもが、彼女の自己犠牲を強いる受難の一つような立ち位置になってしまいそうで、個人的にはその説は支持したくない。
アレックスとダヴィドには少なからず共通している部分がある。ダヴィドは自身の出世と信者たちからの見栄えを第一に考え、そこに"妻"を必要としている。この"妻"が必ずしもヤナである必要はなく、なんなら信仰を与えて惨めな生活環境から救ってやったとすら思っている。しかし、宗教者であるため、ヤナがどんな状態でも"許す"(なんと上からで暴力的な言葉だろう)必要に迫られる。印象深いのはヤナが母親を訪れるシーンで、母親も暴力的な夫(ヤナの父親)に悩まされてきたが、"夫婦なら互いを愛してる"という論理のもとで離婚もせず今に至るというのだ。恐らく、ヤナが無理に自分を曲げて目指しているのは母親の姿なんだろうと想像できるが、母親が語る"雪の夜に夜泣きして父親に追い出された時に、ヤナは雪を見て泣き止んで笑ってた"という挿話だろう。ヤナはそんな幼い頃から、家父長制やミソジニー的環境に嫌悪感を示していたのだ。
物語の冒頭で、ダヴィドはアブラハムがイサクを殺そうとした話について説教を行っている。アブラハムが息子のイサクを殺そうとしたのは、神がアブラハムの信仰心を試そうとしたからであり(と映画ではしている)、結果的には天使が止めに入ったことでイサクは殺されなかった。映画を貫く"従順"(信仰≒神への従順、夫への従順、地域への従順、社会への従順)と"自己犠牲"はここを起点にヤナの信心を揺さぶっていき、最終的に"イサク"は誰からも止められずに犠牲となる。"イサク"、つまりギオルギの犠牲は、どうもヤナが信心を取り戻すための最後の儀式というより寧ろ信仰≒従順と沈黙への決別のようにも取れる。だからこそ、アレックスは石化して消え去ったのではないか。中々抵抗のある物語だが、鑑賞者の精神を無限に削り取るという点ではマティアス・グラスナー『The Free Will』にも通じる重量級の傑作と言えるだろう。
・作品データ
原題:Დასაწყისი
上映時間:125分
監督:Dea Kulumbegashvili
製作:2020年(ジョージア)
・評価:90点
・カンヌ映画祭2020 カンヌ・レーベル作品
1. グザヴィエ・ド・ローザンヌ『9 Days at Raqqa』ラッカで過ごした9日間、レイラ・ムスタファの肖像
2. フランシス・リー『アンモナイトの目覚め』化石を拾う女の肖像
3. トマス・ヴィンターベア『アナザーラウンド』酔いどれおじさんズ、人生を見直す
4. デア・クルムベガシュヴィリ『Beginning』従順と自己犠牲についての物語
7. ロラン・ラフィット『世界の起源』フランス、中年オイディプスの危機と老人虐待
8. ダニ・ローゼンバーグ『The Death of Cinema and My Father Too』イスラエル、死にゆく父との緩やかな別れを創造する
9. マイウェン『DNA』アルジェリアのルーツを求めて
10. デュド・ハマディ『Downstream to Kinshasa』コンゴ川を下って1700キロ
11. 宮崎吾朗『アーヤと魔女』新生ジブリに祝福を
12. オスカー・レーラー『異端児ファスビンダー』愛は死よりも冷酷
13. ヴィゴ・モーテンセン『フォーリング 50年間の想い出』攻撃的な父親の本当の姿
14. カメン・カレフ『二月』季節の循環、生命の循環
16. フェルナンド・トルエバ『Forgotten We'll Be』暗闇を呪うな、小さな灯りをともせ
19. ファニー・リアタール&ジェレミー・トルイ『GAGARINE / ガガーリン』ある時代の終わりに捧げる感傷的宇宙旅行
22. ニル・ベルグマン『旅立つ息子へ』支配欲の強い父、息子に"インセプション"する
25. シャルナス・バルタス『In the Dusk』リトアニア、偽りの平和の夕暮れ
26. Pascual Sisto『John and the Hole』 作りかけバンカーに家族入れてみた
27. オーレル『ジュゼップ 戦場の画家』ジュゼップ・バルトリの生き様を見る
28. ジョナサン・ノシター『Last Words』ポスト・アポカリプティック・シネマ・パラダイス
29. ベン・シャーロック『Limbo』自分自身を肯定すること
30. エマニュエル・ムレ『ラヴ・アフェアズ』下世話だが爽やかな恋愛版"サラゴサの写本"
31. スティーヴ・マックィーン『Lovers Rock』全てのラヴァーとロッカーへ捧ぐ
32. スティーヴ・マックィーン『Mangrove』これは未来の子供たちのための戦いだ
33. ジョアン・パウロ・ミランダ・マリア『Memory House』記号と比喩に溺れた現代ブラジル批判
35. キャロリーヌ・ヴィニャル『セヴェンヌ山脈のアントワネット』不倫がバレたら逆ギレすればいいじゃない
36. パスカル・プラント『ナディア、バタフライ』東京五輪、自らの過去と未来を見つめる場所
37. エリ・ワジュマン『パリ、夜の医者』サフディ兄弟的パリの一夜
38. ヨン・サンホ『新感線半島 ファイナル・ステージ』現金抱えて半島を出よ!
41. 深田晃司『本気のしるし 劇場版』受動的人間の男女格差
42. Farid Bentoumi『Red Soil』赤い大地は不正の証拠
43. オムニバス『七人楽隊』それでも香港は我らのものであり続ける
44. ノラ・マーティロスヤン『風が吹けば』草原が燃えても、アスファルトで止まるはずさ
45. ダニエル・アービッド『シンプルな情熱』石像の尻を見上げてポルーニンを想う
46. シャルレーヌ・ファヴィエ『スラローム 少女の凍てつく心』体調管理、身体管理、性的搾取
47. Ayten Amin『Souad』SNS社会と宗教との関係性、のはずが…
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50. スザンヌ・ランドン『スザンヌ、16歳』16歳の春、あなたとの出会い
51. ウェイ・シュージュン『Striding Into the Wind』中国、ある不良学生の日常風景
52. フランソワ・オゾン『Summer of 85』85年の夏は全ての終わりであり、始まりであり
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55. 河瀨直美『朝が来る』太陽に手を伸ばしすぎでは…?
56. マイケル・ドウェック&グレゴリー・カーショウ『白いトリュフの宿る森』滅びゆく職業の記録:トリュフハンター