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マルコ・フェレーリ『デリンジャーは死んだ』赤い水玉のリボルバーと怠惰な革命行為

圧倒的大傑作。最初に言うべきは、全く以て意味不明な映画だと言うことだろう。製作されたのは1969年のイタリアで、ミシェル・ピコリ演じる主人公グラウコはその中産階級的な生活にうんざりしており、映画は彼の下らない日常が結晶化したようなある一夜を無言で観察し続ける。つまりは、前年に起きた五月革命に対するフェレーリなりの回答(ミシェル・ピコリはフランス人であるのも関連しているだろう)なんだと思う。だが、そんな政治的な意図を必至に汲み取ってフェレーリの思想を慮るための映画ではないことは、ピコリの退廃的で衝動的な行動を見ていれば理解できてしまう。

仕事に飽きているガスマスクデザイナーのグラウコは、頭痛で寝込む妻に代わって台所に立ち、迷宮と化した台所収納の中に新聞紙に包まれたリボルバーを発見する。新聞紙にはジョン・デリンジャーの死亡記事が掲載されており、銃は彼のものだと推測される。グラウコは料理を作りながら錆びついた拳銃の手入れを始め、それに取り憑かれていく。料理に入れた同じ料理油を拳銃にも注いで錆を取ろうとするシーンは前半の強烈なハイライトであり、本作品のぶっ飛んでいて、それでも尚爽快な意味不明さを凝縮したようなシーンだ。

彼は再構築した拳銃を片手に自殺の練習を幾度となく繰り返し、壁に大写しにしたフッテージに対して幼稚な再現を試み、紅白の水玉模様に塗り替えて、それを使ってメイドと関係を持とうとベッドに潜り込み、遂には妻を射殺する。実に子供じみたこれらの行動について、ピコリ自身は"絶望/自殺/不眠症/夢の狭間にいる永遠の子供或いは大人の子供への再誕生"と位置付けているらしい。難しいことは分からないが、確かに家の中のみで展開する物語は夢遊病的な浮遊感があり、それぞれの行動も子供じみている。家の中自体がグラウコの頭の中にあり、それぞれの人格が自分を主張しあっていたのかもしれない。

物語はその流れから逸脱すること無く明後日の方向へ旅立っていく。妻の遺品を身に着けたグラウコは水着の少女が率いる帆船に拾われ、コックとして同行し、タヒチへと同行することになるのだ。妙な説得力すらあって実に暴力的で美しい。

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・作品データ

原題:Dillinger è morto / Dillinger Is Dead
上映時間:95分
監督:Marco Ferreri
製作:1969年(イタリア)

・評価:100点

・カンヌ国際映画祭1969 コンペ選出作品

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