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シャディ・アブデルサラム『王家の谷』倫理的な正しさが本当の正しさに変わるとは限らない

アフリカ映画の中でエジプト映画というのは比較的諸外国で公開されてきた内に入るだろう。それもそのはず、1940年代から60年代に掛けてエジプト映画の黄金時代がアフリカ映画の世界への飛躍を支えたのだ。この時代の監督として有名な人物はユーセフ・シャヒーン(Youssef Chahine)やHussein Kamal、Salah Abu Seif、Henry Barakat、そして本作品の監督であるシャディ・アブデルサラム(Shadi Abdel Salam)などがいる。ちなみに、本作品は日本で初めて公開されたエジプト映画らしい。

アブデルサラムは1930年3月15日、エジプトはアレクサンドリアに産まれ、1948年に同地のヴィクトリア・カレッジを卒業後、1949年から50年に掛けて舞台芸術を学ぶためにイギリスに留学する。帰国後はカイロの芸術大学に入学し、1955年に建築家として卒業する。卒業後はRamsis W. Wassefの下で舞台セットの製作アシスタントとして働いていた。また、歴史映画『Wa Islamah』『Al Nasser Salah Ad-Din』『Almaz wa Abdu El Hamouly』などで衣装やセット装飾を担当したこともあった。また、イエジー・カヴァレロヴィッチ『太陽の王子ファラオ』にアドバイザーとして参加している。そんな彼の初監督作品で、唯一の長編映画が本作品である。その後も短編実験映画を撮ったり、ドラマのシナリオを書いたり、映画学校で教鞭を執ったりしていたが、終ぞ長編映画を作ることはなかった。

1881年、カイロでの考古学会議で、度々登場する謎の盗品のルーツを探るべく山岳地帯への調査団派遣を申し出る一人の若手研究者。一方、その山岳地帯では亡くなった族長の葬儀が行われていた。白い砂漠、黒い装束にピンクの花びらを墓に撒く、幻想的な葬儀のシーンでは、谷底での葬儀から空を見えげるショットで色を一つずつ色を増やしていく。族長の遺された息子兄弟は慣習に従って、叔父に王家の墓へ連れて行かれ、何も知らない兄弟を尻目に叔父たちは棺をこじ開けて死体から首飾りを奪った。"墓荒らし"が一族の伝統であり、その生計を支えていたのだ。兄弟は叔父の行動を許容できなかった。そして、公衆の面前で非難した兄は殺され、弟はそっと村を出て行く。

街に出てきた弟だったが、状況は谷と変わっていなかった。遺跡は崩れ去っており、一族が守っていた谷よりも酷い状況だ。墓荒らしという倫理的に許せないことを、自分の正義感を振りかざして告発することが良いことなのだろうかと考え始める。盗品を売って大儲けしている商人の補佐に"場所を教えて"とせがまれる押し問答で、がめつい商人に奪われるくらいなら学者に
、と考えて学者に谷の場所を教える。

基本的には会話ばかりだが、そのロケーションが遺跡の中のことが多く、衝撃的なまでに殺風景なのだ。『ドッグヴィル』も驚きの四角い部屋。しかし、主人公が黒いローブを着ている以外、他の人間を見分ける手段があんまりないので、殺風景も相まって単調さを助長しているように思える。

最終的に大量の棺が谷から運び出されるのを、弟も一族の人間も見守るしか無い。黙々と運ばれる棺は、まるで冒頭の族長の葬式が繰り返されているかのように物悲しく切り取られる。一人の人間が選んだ倫理的な"正しさ"が、正義には変わらなかったのだ。侵略される側の弟の目線から、エジプト近代史を描いたわけだ。国が身内に滅ぼされるくらいなら他国の助けを得よう、として助けどころか略奪が始まったのだ。やるせないなぁ。

・作品データ

原題:The Night of Counting the Years / The Mummy / Al-mummia
上映時間:102分
監督:Chadi Abdel Salam
公開:1969年(エジプト)

・評価:68点

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