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Lemohang Jeremiah Mosese『This Is Not a Burial, It's a Resurrection』これは復活だ、死者でなく、生者の

妖しい光で満たされたクラブのような場所で、奥の部屋にあるバーカウンターに座った男が長い横笛のような楽器を口の前に掲げながらある物語をゆっくりと語り始める。舞台となるのは、フランス人の宣教師たちが"ナザレタ"と名付けるずっと前から、"涙の平原"と呼ばれていたレソトの山岳地域の寒村である。その名は黒死病の時代に都市部へと搬送する途中で亡くなった病人たちを埋葬し、弔いのために定住を始めたことに由来するという。そんな先祖代々の感情と記憶が染み付いたこの土地で、南アフリカの金鉱山から息子の帰還を待つ老母は一つの知らせを受ける。彼は亡くなったのだ。夫、娘とその娘を亡くしていた彼女にとって唯一の支えだった彼は亡骸となって故郷に戻るが、どれだけ悲嘆に暮れても死は彼女を受け入れない。

奇しくも彼女の村は新たに建設されるダムの底に沈むことになっており、彼女を残して旅立った家族たちやその先祖たちの記憶までもが再び死を迎えようとしていた。村人は土地への執着と諦めを"前進"という言葉で無理矢理飲み込もうとするが、老母は受け入れられない。彼女は喪服を着たまま孤独な戦いを始める。それに対して、ダム推進派の村長は頭ごなしに怒鳴りつけ、神父さえも"宣教師がここに来た時、人々は土着の信仰を捨てた"と新時代に迎合する考えを述べるが、老母の決意も人々の決意も変わらない。そんな強固な意思を以て自身の葬儀の準備を粛々を進める老母の最期の旅路は、数々の美麗な舞台とショットの数々で支えられている。ペドロ・コスタ『溶岩の家』のカーボヴェルデをそのまま閉じ込めたかのような艶やかな原風景、亡くなった息子の家にある目の醒めるような鮮やかな青色の壁、ピンク色の花が咲き乱れる薬草畑、草原に"異物"として混入した全身真っ黄色の作業員。思わず唸ってしまうこれらの色彩感覚には圧倒される。しかも、老母を演じる Mary Twala Mhlongo は本作品が映画初出演というのが信じられないくらい風格がある。

"埋葬ではない、復活だ"という意味深な原題は、強烈なラストシーンで回収されるのだが、そこに至るまでに何度か急展開が訪れる。全体的に詩的にしたいのか現実的にしたいのか分からずどっち付かずの作品になってしまった感じが否めない。特にラザロという青年が突然死ぬシーンは意味不明すぎて、自分が途中で寝たのかと思ってしまった(寝てはなかった)。唐突に置いてけぼりにされる感じ、大学の二回目の授業を思い出す…

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・作品データ

原題:This Is Not a Burial, It’s a Resurrection
上映時間:119分
監督:Lemohang Jeremiah Mosese
製作:2019年(レソト)

・評価:70点

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