アンドリュー・ハキュリアック『さよならのとき』生きてる人たちを死人扱いするのは…
フィヨルドに沈むダグニーという構図のポスターを観た際、私の中にいる全私が"これを観ろぉぉぉぉ!!"と叫びだしたのだが、意外にもアマプラにあったので心底驚いている。物語としてはダグニーという若い女性が、これまでの人生を多少振り返りながら、今の人生から少しづつ消えていく過去の要素に"さよなら"していくというもの。ストックホルム時代の親友アストリッドはダグニーが故郷に帰るために彼女の人生から退場し、故郷ベルゲンの幼馴染エムブラは彼女が入れ違いでストックホルムへ行くために退場し、ベルゲンでダグニーを雇ってくれたベンクトは取り憑かれたように彼女へ愛を告白したせいで退場し、パーティで知り合ったアンドリューとは仲良くなるが特に何も起こることなく退場する。彼らの退場はなぜかこのスマホ時代に今生の別れのように扱われ、"思い出と共に生きる"というまるで彼らが死んでしまったかのようなメッセージが鳴り響く。
途中で挟まれる無重力みたいに物が浮き上がる映像は、スピリチュアル系SF映画っぽい外形をしている。それこそ『Starfish』なのだが、ダグニーの孤独感を象徴するそれらの映像は全く孤独でないように見える本編と完全に浮いている。友人がいればいるほど感じる孤独感を描くにしては少なすぎるし、そもそもの孤独感を描くには孤独でなさすぎる。
フィヨルドに潜ろうとするダグニーを捉えたポスタービジュアルとサントラは最高なんだが、あまりにも生きている者を愚弄しすぎている。映画から人間を退場させるのはボブ・バイイントン『Frances Ferguson』が一番上手い。勝手に殺すな。生きとるわ。
・作品データ
原題:Violent
上映時間:102分
監督:Andrew Huculiak
公開:2014年 (ノルウェー)
・評価:40点
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