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スティーヴ・マックィーン『スモール・アックス:マングローブ』これは未来の子供たちのための戦いだ

スティーヴ・マックィーンによる、1960年代後半から80年代半ばまでのロンドンの西インド人コミュニティを舞台にした5つのオリジナル映画からなるアンソロジー・シリーズ"Small Axe"から、本作品と次の『Lovers Rock』はカンヌ国際映画祭2020の公式選出作品、通称"カンヌ・レーベル"に選出されている。アンソロジーのタイトルは"あなたが大きな木なら、わたしたちは小さな斧だ"というジャマイカの諺に由来しており、どの作品も市民の小さな声で大きな権力に立ち向かう様を描いている。本作品は最初のエピソードとあってか、他の作品が1時間前後なのに対して2時間を超える長尺になっている。

1968年3月、トリニダード生まれの実業家フランク・クリッチロウ(Frank Crichlow)はノッティング・ヒルにレストラン"マングローブ"をオープンする。当時のノッティング・ヒルは、未開発の爆撃跡地、ビクトリア様式の邸宅、そして地域を二分していた建設中のコンクリート幹線道路と様々な時代が混在した空間で、宿泊料金の安さからカリブ海諸国からの移民、所謂"ウィンドラッシュ世代"が多く暮らし、この地を故郷と呼んでいたそうな。フランクは夜通し開いているこの店を高級レストランにしたいと考え、給仕の服装から店内の内装まで拘り抜き、結果的に地域で最高のカリブ料理を出す店として、たちまち人気店となった。ボブ・マーリーやヴァネッサ・レッドグレーヴなどの有名人も多く足を運んだようだ。しかし、単なる料理店としてだけではなく、地域のコミュニティスペースとして重要な役割を担うようになり、当局に目を付けられてからは何度も嫌がらせが続くようになる。全く関連のない"ドラッグ、売春、ギャンブルの温床"として、人種的な偏見として、そしてただの腹いせとして。
本作品はマングローブとそれを守ろうとしたデモ、及びその裁判を描いており、基本的にフランク・クリッチロウを主人公にしている。彼は決してリーダーだったわけではなく、怒りと弱さを兼ね備えた信念の人だったことが描かれている。

ここに、同時期に活動していたブリティッシュ・ブラックパンサーの面々も絡んでくる。地域のインド系やイスラム系の労働者にまで権利や組合の重要性を説いて回っていた熱心な活動家のダルカス・ハウ(Darcus Howe)やアルタイア・ジョーンズ=ルコワント(Altheia Jones-LeCointe)らは、マングローブがコミュニティの精神的支柱を担っていることを重視し、フランクと相補的な関係性を築いていく。しかし、その関係性が逆に監視と嫌がらせを強化してしまうことにもなる。1969年12月、フランクは深夜の営業許可を市議会に取り消されたのをきっかけに、彼らを中心とした"マングローブ防衛行動委員会(The Action Committee for the Defence of the Mangrove)"を結成、人種差別への反対姿勢を鮮明化していった。警察からの嫌がらせ捜査も増える一方で、破壊とその修復を繰り返す日々が続いた。
1970年8月9日、マングローブ前の通り(オール・セインツ・ロード)に集まった人々は、ダルカスとアルタイアの短い演説の後、警察署までの平和的なデモ行進を開始する。集まった彼らはマングローブを守りたい一心だったが、やがて過剰なほど配置された警官隊に行く手を阻まれ、自然発生的な小競り合いが発生、結果的に"暴動の扇動"として9名の人物が逮捕される。オールド・ベイリーという凶悪犯を裁く裁判所に連れて行かれた彼らは、後に"マングローブ・ナイン"として歴史に名を残すことになる。

本作品は、奇しくも今年公開されたことで、同時期のアメリカで行われた『シカゴ7裁判』を想起させる。同作でもボビー・シールに対する人種的な不平等を描いていたし、イギリス特有のカツラを揶揄して9人が被告席で黒い帽子を被って皮肉るなど共通点もある。興味深いのは本作品の裁判において、マグナカルタが引用されて陪審員の総入れ替えを要求する場面だろう。流石、明文化された単一の憲法を持たないイギリス。最も大きな相違点は、時系列が入り乱れていないことだろう。マングローブの開店と同じ時期から始まり、彼らが如何に迫害され蔑まれてきたかを克明に描写し続けたからこそ、当初は人種差別に無関心で、暴動についてだけ議題にしようとしていた裁判官が、最終的に(白人側にかなり寄っているとは云え)"警察による人種差別があった"と認めたのは歴史的な事件だったに違いない。
自衛という手段を選んだアルタイアとダルカスは法廷で自らの声を人々に届けることが出来た。マングローブについて、デモについて、裁判について簡潔ながらも力強くまとめたダルカスの魂の演説には心が震える。

本作品ではマングローブの内側と同じくらいマングローブ前の通り(オール・セインツ・ロード)が登場する。平和だった時代は郷土音楽を奏でながら、カリブ系移民以外の客も交えたパーティが行われ、彼らの音楽のような特徴的なイントネーションやアクセントも相まって非常に印象的な空間に仕上げている。長回しで描かれるそれらの楽しげなパーティシーンは、重苦しい映画から唯一乖離した夢のような情景だった。だからこそ、冒頭と繋げる形で最後にフランクをタバコを吸わせに外へ出したのだろう。

追記
イギリスの裁判所にはガベルがないのか、静かになるまで裁判官が待ってるか、何も言わずとも結構早くザワザワが収まっていた。

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・作品データ

原題:Mangrove
上映時間:127分
監督:Steve McQueen
製作:2020年(イギリス)

・評価:80点

・"Small Axe"シリーズ

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5. スティーヴ・マックィーン『Education』何もしなければ、何も変わらない

・カンヌ映画祭2020 カンヌ・レーベル作品

1. グザヴィエ・ド・ローザンヌ『9 Days at Raqqa』ラッカで過ごした9日間、レイラ・ムスタファの肖像
2. フランシス・リー『アンモナイトの目覚め』化石を拾う女の肖像
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