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フランコ・ピアヴォリ『Voices Through Time』 ある村の人々の懐古的年代記

空を真っ赤に染めながら太陽が昇り始め一日が始まり、映画も始まる。光を反射する湖は魚の動きとともに波打ち、人気のない街で鳥のさえずりがこだまする。イタリアの田舎で暮らす人々の生活を情緒的に掬い取ったセミドキュメンタリー的な本作品は、有効な会話を一切含まないことで普遍的な世界を提示する。発される会話は"話している"事以外の意味は持たない。風の音、鳥のさえずり、河のせせらぎといった自然の音から、人々の会話や歌声、鐘の音、車のエンジン音、クラクションといった人工の音、ダンスや教会音楽をそれぞれのシーンに劇伴として使われる音楽に至るまで、喧騒と静けさを往来しながら時を超える"声"を紡いでいく。同時にカメラも接写からロングショット、静から動に至るまで縦横無尽に変化していく。彼らの生活は近代的でありながら退廃的でもあり、時間が止まったような、そして同時に全ての時間を生きているような錯覚すら憶えてしまう。それこそが"時代を超えた声"なのかもしれない。

一日の到来と共に母親が窓を開けると、同時に起き出した赤ん坊が泣き始め、映画のもう一つの物語である人生が幕を開ける。幼年期、少年期、青年期、中年期、壮年期、老年期にある人々の日常を一日に置き換えて描き出し、一つの映画を人生に作り変えたのだ。そして、同時に日を経るごとに季節も変化させる。春に生まれた子供たち、夏に遊ぶ青年たち、秋に結婚する中年たち、そして冬の雨を見つめる老人たち。それぞれの季節はぞれぞれの人生にリンクし、やがて来たる結末を暗示させながら次に来るであろう春を感じさせる。生命のサイクルが閉じた瞬間だ。

『カノン』を流しちゃうラストは安直だが、そうしたくなる気持ちも分からんでもない。文字通りの世代交代を終えた映画は夕陽が沈んで暗転し、老人としての一日を、人生としての一年を、そして短い映画を終わらせる。

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・作品データ

原題:Voci nel tempo
上映時間:86分
監督:Franco Piavoli
公開:1996年9月(イタリア)

・評価:80点

監督フランコ・ピアヴォリは50年代から60年代にかけて少ない短編ドキュメンタリー映画を撮っていた映画監督だが、1964年の『Evasi』以降20年近く沈黙していた。その後1982年に突如、初長編『The Blue Planet』を発表して復活し、セミドキュメンタリー的な作品を四本残した。現在は大学教授として働いているらしい。他の作品も本作品のように言葉には執着していないようだ。

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