【you+】文化の発信源の「アニメ」の力
いわゆる、「おっさん」ともなると、色々とあるもんだなぁと思います。
真剣に生き方を考え始めたのは、
日本のアイドルグループ「嵐」の休止報道でした。
嵐の方々は、私とは別世界のところで活躍されており、
私と照らし合わせること自体、大変恐れ多いことだと思いますが、
嵐のメンバーの方々と同年代の私にとっては、
「生きる」ということを、非常に考えさせられる出来事でした。
生きていると、外見だけでなく、考え方も変わっていきます。
その中でも、印象に残っていることがありました。
それは、創り出すことの素晴らしさを教えてもらい、
今でも、苦しくなった時に、支えになっていることです。
ざっくり、私の人生というのは、下記の通りです。
(これまでの経緯)
・中学生までは比較的順風満帆。
→高校の進路で親と対立。今までの親への不満が爆発。
→生きることに思い悩み、大学に行っても思い悩み続ける。
→就職せず、アルバイトから始めた取材ライターの仕事を本格的に開始。
→様々な人の生き方に触れ、感銘を受ける。
→不景気の影響から、取材ライターの仕事が立ち行かなくなる。
→お世話になっていた人からも距離を置かれ、人間不信となる。
→精神的苦痛から、パニック障害のような症状が発生、引きこもりとなる。
→自殺も考えるも、アニメをきっかけに、引きこもりが少しずつ解消される。☆
→「人生一度きり」と捉え、やりたいことをやろうと考え始める。☆
→親の助けを借りつつ、生活を取り戻し始める。☆
→上京し、ナレーター事務所に入り、声の仕事に向かって前進するも挫折。
→再び、生きることに思い悩み続ける。
→現在、踏ん張っている最中…
この「☆」の部分が、大きな変化でした。
今、冷静に振り返ると、
人間不信になった要因の一つは、私の実力不足です。
情けない話です。本当に。
「そりゃ、人は離れていくよな」と思います。
当時、お世話になっていた方々も大変な状況で、
私のような未熟な人間をみる余裕がなかったのだと思います。
みんな、「戦っていたんだ」と思います。
私は、社会の荒波の「戦争」に負けてしまいました。
会社に就職していれば、なんとかなっていたのかもしれません。
今、会社にいて思うのは、組織として働くというのは、
なんだかんだ、助け合いの構造ができている、というのは大きなメリットです。
当時、フリーランスで一人だった私は、相談できる人がいませんでした。
自暴自棄となり、パニック障害のようなものが出て、
昼夜逆転の生活となりました。
真夜中に、ものに当たって、部屋を壊す日もあれば、
落ち込みすぎて、自分の心臓の音や呼吸一つ一つが気になって、
突然、呼吸ができなくなるのではないか、という不安に押しつぶされそうな
時もありました。
そんな中、つきっぱなしのテレビの深夜アニメに目が留まりました。
「この電車、知ってる」
そのアニメは、「涼宮ハルヒの憂鬱」というアニメでした。
ご存知の方も多いかもしれません。ちょっとした社会現象にもなりました。
涼宮ハルヒの憂鬱のアニメの舞台は、主に西宮市です。
当時、神戸市灘区に住んでいた私は、アニメに出てくる背景のほとんどが、
見たことのある景色でした。
精神的苦痛から、社会的なことが何もできなかった私にとって、
久しぶりの感動体験でした。
「すごい、あの場所のまんまや」
今まで、外に意識が向かなかった私には、とても大きなことでした。
そして、「行って確かめたい」と思うようになっていました。
いきなり昼間の外出することは、ハードルが高いので、
深夜に原付に乗って、色々と確認しました。
アニメの夜景と、実際の夜景がそっくりなことに、本当に感動しました。
「外に出た」ことは、私の世界を少しずつ広げてくれました。
大勢が見るような映画や舞台は見れなくても、
出身大学の舞台を見に行ったりできるようになりました。
空いている時間を見つけて、本屋に立ち寄ることもできるようになりました。
最終的には、対立していた親に謝罪するととともに、
助けを乞うこともできるようになりました。
受け入れてくれた親には、頭が上がりません。
◇ ◆ ◇
「涼宮ハルヒの憂鬱」のアニメを手がけた会社は、
「京都アニメーション」さんです。
京都アニメーションさんは、創業を考えると、約30年の歴史のある会社で、
堅実にアニメーションの仕事を積み重ねてきた会社、という印象です。
その会社のことを知ってから、「表現の世界は、本当に素敵だ」
と思うようになりました。
そのまま、アニメーターにでもなれば、筋の通った人生ですが、
そんなうまくはいきません。
私は絵は得意ではないし、絵心もなく、アニメーター大変難しい。
でも、表現することに携わりたいと思うようになりました。
今の会社は、「表現」という意味では、あまり関係ない会社ですが、
副業として、ライター業の勉強をしているところです。
確かに、私の心の歯車に、一つ別の歯車が入り、
回転が変わってきたように思います。
表現の世界に足を踏み入れた、その一歩が、
私の場合は、「アニメ」だったことは、確かな事実です。
今や、日本の「アニメ」は、世界で注目されている文化です。
少しでも多く、広く、日本のアニメを知って、
生きることや大切な何かを考えるきっかけが広がって欲しいです。