【日記#18】なんか、悔しい
先日、ウェビナーに参加してきた。
会社の退職を決めてから、時間だけは生まれたため、
いろんなウェビナーに参加して、情報や知識を得ようとしている。
「素晴らしいぞ、私」
少しずつ、前向きに取り組むことのできていることは、
自分で自分を褒めていきたい。
そうしないと、誰も褒めてくれない…
でも、とても反省した。
今回のウェビナーは、参加型だ。
いろんな方とのディスカッションの時間があった。
その時、まだZoomだったり、Teamsに慣れていないことも
あるのだが、なかなか自分から話すことができない。
ただでさえ、人見知りなのだが、
ウェブ上だと、もっと人見知りになる。
というか、話すタイミングがわからない。
こればっかりは、慣れもあるのだろうか。
悔しかった。
なぜ、私は、こんなに人見知りなのだろうか。
子供の頃からなのだ。
一人っ子で生まれた私は、今、思うと、
親にとても大切に育てられた。
ある意味、甘やかしてくれた部分は大きかった。
(勉強して、良い成績さえ残していれば…)
そのため、親戚が家にきた時、大体挨拶するぐらい、
すると思うのだが、私はできなかった。
親戚が怖かった。
まぁ、母親でさえ、怖いと思っていたので、
全ての大人が怖く見えたのだ。
だから、挨拶ができなかった。
それを母親は許してくれていた。
挨拶もせず、親戚の方とも話さず、
自分勝手に、好きなことをしたり、勉強したり…
そんな幼少期を過ごしていると、どんどんと人が怖くなる。
そして、自分から話せなくなる。
私は幼少期、ずっと関西にいた。
関西にいると、ボケとツッコミは日常で生まれる。
(今は、どうか知らないけど)
学校生活で生き残っていくため、私はツッコミに回った。
自分からは話せないのだが、話さえしてくれれば、
ボケさえしてくれれば、ツッコミができる。
それで、なんとか学校生活を乗り切った。
社会に出てからは、
「人見知りなんて甘えだ。仕事だぞ。なんとしてでも話せ」
と言われ続けた。
これが、大卒で就職せずに、フリーランスでライター業を
始めたばかりの時、お世話になっていた人の口癖だ。
こういうことを言われ続けて、最終的には、捨てられる。
これも、私が病んでしまった要因でもある。
人見知りは甘えとは思わない。
でも、社会で生きていく上で、人見知りで、誰とも話さないと、
大変なケースが出てくる。
私の場合、なかなかコンビニのホットスナック系は注文できない。
話すのが怖いからだ。
かわいいところでは、そんなレベル。
会社で働いていた時は、上司に思いを正確に伝えることができず、
誤解を招き、自分で自分の首を絞めることにもなる。
(それ以降、会社では、書面やメールで要望を出すようにした)
こういう自分を感じると、本当に情けないし、悔しい気持ちになる。
でも、一方で、
「人見知りなのであれば、人見知りでもできる仕事をすればいい」
という考え方があることを最近、知った。
どんな仕事なのか、まだ出会えてはいない。
人見知り…
とても、切ない。
でも、誤解をしないでほしい。
人見知りでも、知人を無くしたことは本当に後悔している。
一度、知り合って、気心知れた友人は、本当に大切な存在だった。
人は一人では、なかなか生きられない。
それも感じている。
だからこそ、人見知りだったり、話出せない自分が悔しい。
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