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【日記#40】当たり前が当たり前じゃなくなる時、人は挨拶をしたくなる。

<Twitterに記載した”コトバ”>
当たり前がなくなった時、初めて感じることがある。
だから、大切にしたい。当たり前で、身近な『幸せ』を。

色々と悩みましたが、働き方を模索するため、会社を離れました。
聴覚障害などの体調を崩してしまったためです。
それなのに、模索するため色々と検討しているうちに、
体調を崩したりしています。
なんと、口内炎が一つ増えました。
他の会社員に比べて、何も仕事していないのに…
口内炎、お前は、どうして出てくるんだい?

当たり前のように美味しく食べていた幸せな食事の時間が、
口内炎一つ出てくるだけで、不幸な時間になってしまいます。

模索している中で、今まで勝手に恐怖心を感じていたSNSを
使うようになりました。
今の所の使い方は、主に、下記の通りです。

・自身のプログラミング学習の積み上げ報告
・ランサーズ社の新しい働き方LABの情報収集と情報発信
・参加したイベントの情報発信
・noteと連携して今日感じた一言を残す
・それ以外の情報収集

プログラミング学習の積み上げでは、ハッシュタグをつけて
ツイートしています。
すると、同じように勉強している方が、
「いいね」をしてくれることがあります。
案外、嬉しいものです。

その「いいね」が昨日、全くのゼロでした。

別に「いいね」をもらうためにツイートしていないので、
問題はないのですが、その時の私の気持ちは、
「あれ、いつも通りなのに。俺、変なことした?」
と急に不安になりました。

SNS依存症になってしまったのか、この俺が!
と思いましたが、少し時間を空けて考え直しました。

おそらく、どこかで「当たり前」と思っていたのでしょう。
その当たり前が突然なくなると、急に心が揺さぶられます。
口内炎で食事が美味しくなくなった時に思いました。

私はサッカーが好きで、海外の試合もよくみます。
すると、今は普通に観客が入っていたりするんですよね。
すごいんですよ、雰囲気が。
そして、改めて思うんですよ、サポーターの力ってあるんだな、と。

そして、反省します。
当たり前のように人と会い、同じ時間・空間を共有することは、
これほど尊いものだったのか、と。

私含め、人間ってのは、当たり前と思い始めると、
その価値がどんどんと薄くなって見えてきちゃう気がします。

だから、挨拶をちゃんとしようと思うようになりました。

今、本当に悩んでいて、不安しかないんですけど、
当たり前にできること、挨拶から始めよう、と。

レジとかで、「ありがとうございます」っていうだけでも、
何か違うような気がします。

私は10代後半から少しずつ精神的に違和感を感じ始め、
人がどんどん怖くなってきているような人間です。
親に対しても、感謝はしているものの、恐怖心の方が大きかったりします。

そんな私ですから、もちろん、一人暮らしです。

でも、やろうと思いました。

「ただいま」
「行ってきます」
「いただきます」
「ごちそうさまでした」
「おやすみなさい』

そんな良い家に住んでいません。
だから、隣の人が聞いたら、不審がるかもしれませんが、
その時は、その時です。
「ごめんなさい」
と言いますかね。

そんなことを思いました。

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