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トンネル

1.トンネルの入り口は暗いものだった

時々、自分の人生を振り返る時がある。

これは、私にとってよくない時の症状だ。

よくないことだということは、最近になって、ようやくわかってきた。

でも、人間の癖というものは、そう簡単には拭い去ることができない。

自分の人生を振り返り、過去の選択を後悔し、他人と比べて情けなくなり、やり場のない気持ちになってくる。そして、現在の自分を卑下し始め、自分自身の価値を自分自身で下げてしまう。本当によくない時は、呼吸が浅くなり、寝ることができなくなる。これが続いてしまうと、昼夜逆転の生活になり、最終的には、後悔していた過去の自分に逆戻りとなり、無限ループとなっていく。

この無限ループに陥ったのは、大学の時。生きることの意味、具体的には就職することの意味を見出せず、フラフラとしていた時だ。その時に、いわゆる新興宗教の勧誘を受け、嵌まり込んでしまう。

ここから、いわゆる一般的な生き方とは、かけ離れた生き方をしていく。断食をしてみたり、祈ってみたり、ろくに何も準備せず自然の中に飛び込んで生活してみたり・・・一方で、経営学に興味を持ち、経営やリーダーシップ関連の本を読んでみたり・・・

この行動は、すべて無計画で、新興宗教の『上司』のような人に、言われるがままのことをしているだけなのだ。

それだけなら、まだ良かったのかもしれない。ここから自分の価値を見出せなくなるのは、その『上司』の言葉からだ。

「お前は何で、報告ができないんだ」

「この事例は報告すべきことだと、なぜ、すぐにわからないんだ」

「それは、お前の今までの人生、家庭環境にある。全てを見直せ」

「過去の自分と戦え」

このような言葉を受け、頑張ることのできる人たちもいるのだろうが、私は、その対象にはならなかった。

社会に出れば、報告・連絡・相談というのが、当然のことであり、最低限すべきことだということは、自然とわかってくる。

だが、私は当時、本当に、何を、どのタイミングで報告すべきか、わからなかったのだ。

2.入ったトンネルは長かった

その『上司』の言っている事は的を射ていると思う。

私は一人っ子で、鍵っ子だ。

一人でいることが当然の生活だったし、一人でいることが楽だった。

母親はガミガミうるさいし、父親は全然帰ってこないし、帰ってきたら、ぐうたら寝ているだけ。両親に対して、感謝の思いも、尊敬の思いも、持っていなかった。

今、考えれば、両親は私をある部分では、甘やかしてくれていたからだと思う。そこまで裕福な家庭ではなかったが、何だかんだで、何不自由なく、大学までいくことを許してくれた。

ただ、一つの条件があった。

「世間様にみっともないことをしないで。恥ずかしいでしょ」

何を基準に世間様というのか、何が普通なのか、何もわからないが、母親はこの言葉を私に繰り返した。

私が中学生の頃だったろうか、潰れないと言われていた銀行が潰れ始めた。そのニュースをみて、今までの常識は壊れていくことを、子供ながらに知った。でも、母親はそこに目を向けず、いわゆる「良い学校」に行き、いわゆる「良い会社」にいくことが幸せなんだ、と言い続けた。

私は自分の可能性に挑戦したくて、サッカーの強豪校に進学したかったが、そこでも反対だった。母親の中では、「良い学校」ではなかったからだ。

この繰り返しから、私は1度「死んだ」。

家に早く帰るのも、好き嫌いせず食事をするのも、勉強するのも、「良い学校」にいくのも、好きなはずだったサッカーをするのも、全て「世間様にみっともないことをしないでほしい」と思っている母親が基準なのだ。

母親は私にとって、畏怖の存在の「神様」だったのだ。

この「神様」は、社会に出たことがなく、報告・連絡・相談のことは何も教えてくれなかった。この「神様」は世間様を敵だと、私に説いた。そのような神様は、報告・連絡・相談ということに対して、何も考えがないのだ。

その「神様」が新興宗教によって、バラバラに破壊された。

こうして、私は、2度、「死んだ」ことになる。

3.トンネルの中の非常口

新興宗教の「上司」により、それまでの母親という「神様」を壊された私は、自分自身の生きていく上での基準を、20歳になって、一から創り上げていく必要があった。

その自分探しの過程で、母親が幼少期、本当に苦しんでいたことを知った。

母親は呉服屋の娘だったのだが、その呉服屋の主人(母親の父親、私から見て、母方の祖父)は悪い人に騙され、多額の借金を背負うことになってしまい、呉服屋が潰れてしまったのだ。母親は学校もろくにいくことができなかった。そんな経験をした母親は、世間様全てが敵のように見えたのだ。

このような経験をした母方の祖父母は早くに他界してしまい、母親は幼くして、親戚の家に預けられて育った。それもあって、私は、母方の祖父母を写真ですら、みたことがない。

母親に新興宗教に入っていることを言った時、

「さっさとやめなさい、あなたに何万円かけたと思っているの?」

「さっさとお金を返しなさい」

と鬼の形相で言われた。その時は、「俺を、お金という世間様で図るのか」と、かなりショックを受けたが、母親の生い立ちを考えれば、自然な考えだと、今は思う。

新興宗教の「上司」により、母親が「神様」から「悪魔」に見えたこともあったが、自分を作り上げていく中で、母親は「悪魔」でもなく、「神様」でもなく、一人の一生懸命生きようとしてきた【人間】であることに気づいた頃には、全てがなくなっていた。

母親が「神様」の時代には、まだ友人がいたが、新興宗教の「上司」によって、その友人はいなくなり、献金ということで、お金もなくなった。

新興宗教の「上司」により、2度死んだ私は、精神から崩壊した。

私は昼夜逆転の生活となり、精神崩壊した私は、社会との接点が全くなくなった。

「こいつは使えない、何をしでかすかわからない」

と本気に思った新興宗教側も、私を追うようなことはなくなった。

この頃、本当に太陽の光を当たることはなく、長いトンネルに入ったようだった。

本当に、死のうと思った。

その時の部屋のBGMは、テレビだった。部屋の明かりはつけず、パソコンとテレビの明かりだけで過ごしていた。

どうやって死のうか、と考えていた30歳手前の時。

テレビから、見た事のある景色が飛び込んできた。

飛び込む、という表現が最も正しいと思う。

それは、深夜アニメだった。

「あの電車、阪急電車やんか」

「あれ、この校舎、あそこやんか」

今となっては当然かもしれないが、あの頃、一つの深夜アニメで、あそこまではっきりと場所がわかる背景表現をしていたのは、珍しかったように思うし、何よりもすぐにわかるクオリティだった。(それが、京都アニメーションさんの作品だった、ということを知るのは、数年後になってしまうのだが・・)

その時、死んでいたはずの私、私の心が、少し動いたように感じた。

「死ぬ前に、確かめてみようか」

今まで外に出なかった私が、深夜ではあるものの、歩いて、神戸市灘区から西宮北口まで歩いてみようと思ったのだ。

玄関で、靴を履こうとするが、ボロボロの靴しかなかった。その光景を見て、一瞬、恐怖を感じた。

死ぬことを考えていた私が、外の世界に出ること、今まで見ようとしてこなかった世界に出ることに、恐ろしさを感じた。

だが、その恐ろしさは、一瞬だった。

それ以上に、アニメの背景に感動したことで生まれた衝動は、抑えられなかった。

今、考えるとよく徒歩で行ったものだと思うが、苦労とは思わなかった。見た事のない景色を見にいくのは、怖くて面倒ということから、子供の頃から嫌いで、家族旅行も嫌いだった。「一人留守番でいいよ」と言っていたものだ。

見た事のない、感じたことのない世界に飛び込んでいく、その時のちょっとした高揚感のようなものを感じたのは、この時が初めてだったように思う。小さな冒険・旅の始まりだった。

実際にアニメで見た景色とほぼ同じ景色を確認し、改めてアニメに感動しつつ、この街は、こんなに綺麗だったんだ、と再認識できた。

少し心の動いた私は、そのまま深夜の散歩を始めた。多少、ヘトヘトにはなっていたのを覚えているが、それよりも、久しぶりに外に出た空気は、意外に心地よかった。行き着いたのは、神戸・三宮だ。

そこには、見覚えのあるモニュメントがあった。「1.17 希望の灯り」だ。このモニュメントを何回も見てきた。神戸の大学に通っていた私は、毎年1月17日の午前5時46分には、東遊園地に行っていた。

大学の研究からではあるが、被災した方とよくお話をした。その時に、よく出てきた言葉は、「生かされている私たち」だ。

「なぜ、私があの時、建物の下敷きにならなかったのか」

「なぜ、私は火事に巻き込まれずに助かったのか」

こういう自問自答をしていく中で、「生かされている私たち」という考えに行き着くのだという。PTSDに悩まされることもありながら、この思い・考えで必死に生きているのだ、と。

そのモニュメントを見ていたら、被災した方の言葉を思い出してきた。本当に私は、このまま死んでしまって良いのだろうか。

「一番の親不孝は、親よりも早く死んでしまうことよ」

被災した方の言葉だ。

この言葉がふっと湧き出た時に、「死んではだめだ」と直感した。

足の裏の痛みを感じながら、帰宅してきた時には、日が昇り始めていた。

そして、私は携帯を手に取った。

「もしもし、お父さん、俺やけど・・助けてほしいんやけど・・」

4.トンネルはまだまだ長い

単なる長時間の深夜散歩なのだが、あの時の私にとっては、小さな冒険だった。長いトンネルの中にはいるのだが、脇にある非常口から、少し外を出たような感覚だ。今まで何度も見てきた景色だが、初めて出会った景色の感覚だった。

今、思うと、深夜のアニメがなければ、私はどうなっていたのだろうと思うし、あの時、阪神大震災のモニュメントに出会ってなければ、どうなっていたのだろうと思う。

結局、両親の支えがあって、なんとか普通に仕事をできるところまでは回復した。

無くしたものは元には戻らない。

私が新興宗教の『上司』から、精神を破壊され始めていた頃、高校の同級生が交通事故に遭い、亡くなった。そのお葬式に出ることができなかった。これが今、一番の後悔だ。お金はなんとでもなるが、命は元に戻らない。

結局、自分がしてきた選択。その選択のツケは、自分自身で払わなければならない。今は、必死になって模索している。トンネルの出口はまだ見えない。

ただ、進み方は、変わってきているように感じる。


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