20221030
晴れ。連日の行楽日和で嬉しい限りだ。公園ではラーメンフェスティバルが行われていて、人の往来も凄まじい。犬連れの人が互いの犬同士が嗅ぎあう様を見守っていたり、ぐずる子どもを見てため息をついたり、カップルが必要以上にイチャイチャしていたり、様々な人生の日曜日が交錯している場所をただ通り過ぎるだけでも幸福感はあるものだ。老境のようなものだろうか。逆な気が最近している。死が近づけば近づくほど、そんなことはどうでもよくなってしまうのではないか、我が強くなってしまうのではないか、そんな一抹の不安がある。あるいは、それはわたし自身が孤独を恐れている証拠かもしれない。家父長制は今では害悪でしかない感じだが、家や家族という概念そのものはとても強固な絆である気がしている。BFC4の作品が公開された。とりあえず、Aグループの六作品を一読した。これはジャッジが大変だな、と漠然と思った。それほどにそれぞれの完成度は高く、Aグループは掌編と詩の形態が見られたが、掌編もSFやリアリズムや幻想やさまざまな形があるので、優劣をつけるというのは大変に難しいものになる。ジャッジ自身に明確な基準があり、そこに基づいた読みができなければ納得させることはできないだろう。神保町の古本まつりに出向いた。すずらん通りを出たところで、破滅派同人の方と偶然に出くわした。娘さんを連れていた。軽く挨拶してそれぞれ、会場に戻った。理想的な休日の過ごし方だな、と思った。わたしは小学生の頃、父に連れられてよく釣りに出かけた。思えば、父にとってあの時間はきっと忘れがたいものなのではないか。父の気持ちは知りえないが、わたしが彼の立場なら幸福な日々だった、と思い返すだろう。まるで死んだようにいうが、まだ健全である。しかし、すっかり音沙汰なしであるし、いま一緒に過ごしても一時間と会話は持たないだろう。親子関係というのは、難しいものだ。何も知らない他人が見ると、幸福に見えても実質はわからない。そういう意味ではすべてが幻想なのかもしれない。