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連載小説【ミックスナッツ】 | Ep.2 ホクロ

 気づけば6月になり、私は結局サークルにも部活にも入らなかった。毎日真面目に講義を受け、授業が終わればすぐに大学を出る。自宅から3駅離れた大きな駅近くの花屋のアルバイトに行ったり、地元の友達たちと遊んだり、犬の散歩に行って家でゆっくり過ごしたり、高校時代と全く変わらない生活を送っていた。今のところ、大学で友達はできていない。そもそも、自分から話しかけることもしないし、話しかけやすい容姿をしていないことはわかっている。
 N原とは、挨拶だけをする関係になった。入学式以来、連絡先の交換をするわけでもなく、近くの席に座るものの話はしない。話しかければ応えてくれるのはわかっているが、特に話題があるわけでもないので話しかけないだけ。だけだった。
 ゴールデンウィークを過ぎた頃から、早くも講義に出ている学生の数が減った。特にいま受けている「物理基礎」は、今のところ高校の履修範囲で簡単な内容なためかもしれない。サボり対策のためなのか、教授が講義の最後に告げる。
 「来週、小テストしますね。高校の内容なので余裕だと思いますけど。」
 高校の時には聞き慣れていた小テストという単語を聞いて、面倒くさいなと思っていたところに、前に座っていた伸びた金髪頭が振り返って泣きついてきた。
 「成瀬、助けてくれ。」
 N原の声が大きいので周りの視線が集まる。
 本当にやめてほしい。注目されるのは苦手だ。講義が終わったのですぐに教室を出る。デカいキツネがまた追ってきた。

 教室から離れたところで振り返り、キツネを手で静止して告げる。
 「・・・わかった。別に教えるのは構わないけど、今日はバイトがあるから無理。それに、別に先輩とか友達もいるでしょ。そっちに教わったほうが早いんじゃない?」
 「俺、成瀬以外に友達おらんで。頼むに。」
 手を合わせてお願いポーズをする目の前の大男の言葉に、「この2ヶ月何やっとたんや。」とツッコミを入れた後、私も同じかと痛い言葉がブーメランされてきた。友達という言葉を聞いて、少しだけ口角が上がってしまった。バレてないと思う。
 
 路面に出した紫陽花の鉢を仕舞いながら、オーナーに今日の話をする。
 「キツネか~。かわいいやん。そのまま飼うたげたら?」
 一瞬手が止まってしまったが、私も軽く断りを入れてどんどん閉店準備をする。そもそも、本物のキツネなら可愛いが、同い年の男性を可愛いと思う感覚は持っていない。オーナーは私よりも二回り年上なので、大学1年生など子供やペットと同じ感覚なのかもしれないなと深く考えないようにした。
 家に帰ってダラダラしているとN原から連絡が入った。先生役を引き受けたことへのお礼と、全く講義についていけていないこと、融通のつく時間の候補と、意外にもしっかりとした文章が簡潔に書かれていた。国語は得意なタイプなのかもしれない。物理が全くわからない理由には、高校時代に化学と生物を専攻していたため、中学生以来の物理だったらしい。もしかしたら、今までやったことなかったから慣れていないだけで、基礎がわかれば物理もすぐにできるようになるかもしれない。時間の確定だけ連絡を返して、高校時代の物理の教科書をパラパラめくった。

 甘かった。よくよく考えれば、このキツネは講義を休まず出席して、前列で真面目に講義を受けているにも関わらず、全くついてこれてないのだ。しかも、担当教授の説明は比較的わかりやすい。
 「え。嘘やん。なんでなん。」
 思わず声に出てしまった。また小さくなる背中に、早くも何回目かと頭が痛くなった。今のところ、本当に基礎的な範囲なのだ。これで今後工学ができるようになるのかと、心配になってしまった。
 「すまん。俺な、左右・・・みぎ?ひだり?が分からんで。」
 入学当初と変わらない方言まじりで情けなさそうにしょげている。確かに、右手・左手と言って動いている手は反対で、ますます幼い小学生を教えている気分になってしまった。
 「お箸持つ方が右で。」
 「すまん。俺、左利きで。」
 「めんどくさい奴やな。」
 「すまん。」
 N原は左利きで、お箸は左手。ハサミは右手。バットは左打ち。
話を聞きながら、N原の大きくてゴツゴツした手を見ていた。そういえば、新歓で女性の先輩と手を合わせていたっけな。
 「ホクロ。」
 えっ。とN原が驚いてこちらを見る。
 「N原の右手の甲にホクロあるでしょ。N原から見て、右はホクロのある方ね。物理の問題も方向の指定がなければ、N原から見ての方向でいいから。ホクロのある方が右ね。」
 視線を顔に戻すと、大きく口を開けた見事なアホ面が目に入って、思わず笑ってしまった。この日から、N原と自然と一緒にいることが多くなった。

 小テストは、高得点ではないもののなんとかなったようだった。
 


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