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「好き」なことに熱狂する気持ちはどこへいった?

長男が、「ぼくはね、宇宙、動物、恐竜、鉱物、戦国、幕が好きなんだ」、「お母さんは何が好き?」と言う息子の質問に、少し動揺してしまった。

今何が好きか答えられない…。
私の好きなものって?

苦し紛れに「本かな?」と答えた。

まだ息子が生まれる前は、私は自分が好きなものの為に生きているようなところがあった。大学時代は映画を一日三本見て、小説やエッセイを読み、美術館、カフェ巡りもずいぶんとした。映画に関しては、フランスの大学院で映画の論文を書いたぐらい随分と熱を入れていたぐらいだ。頭の中が好きなもののことで常に占められていた。

でも、子どもが生まれてから、映画も小説もあまり見たくなくなった。
最後に映画館に行ったのはいつだろう。覚えていない。
旦那さんに、一緒に映画見ようと言われても、毎回嫌だと答えてしまう。
(もともと映画の趣味が違うというのもあるけれど…。)

子どもが生まれてから、初めて自分じゃない誰かの為に生きている。
頭と心は子どものことで占められていて、空いた時間に映画を見ようという気持ちにはなれない。

好きなものに熱中する長男の姿は、昔の私を見ているみたい。
長男が好きな分野の本を毎日読みふけっているのを見ていると、
昔の私が「羨ましい」なぁという気持ちがちょっぴり湧いてくるけど。


長男が質問したあとに、動揺した自分の心の内を探ってみた。

結論。

今はこれでいいんだ。

考えてみると、長男のようにオタク体質の私は、もしかすると熱狂する対象が、
子どもたちになっているのかもしれない。
「子どもたちとこの工作をしたら楽しいかも?」
「Kaplaでこれ作ろう」
「長男が最近〇〇に興味持っているから、本を探してあげよう」
子どもたちが学校に行っている間に、情報集めをしている。

フランスで暮らす子どもたちが国語の勉強を苦なくできるように、遊びを通して学べないかとなど、アイデアを探したり。これが意外と忙しい。

うちの母にも「そこまでようやるなぁ。」と言われるぐらい。

そして、子どもたちがお昼と夕方帰ってきた時は、家事の間に暇ができたら、一緒に遊んだり、本を読んだりするようにしている。この時間が凄く楽しくて仕方ない。

子どもたちの笑顔を見ていると、自分が凄く満たされる。

子どもたちとの時間は長く続くものではないとわかっている。
もう何年間かしたら、息子たちは私と遊ぶということをしなくなくなるだろう。
だから、今はこのかけがえのない時間を大切にしたい。

昔のように、自分が好きなことに熱中するのは、また子どもたちが大きくなったその時でいいと今は思えるのだ。




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