私が日記を描く理由 - KANA NO KIROKU 365
こんにちは。服部奏です。
新年度がスタートして早1ヶ月。いわゆる始まりの月を終えようとしている今、覚えておきたい気持ち、残しておきたい気持ちが沢山あるので、久しぶりにここに書き残そうと思います。
私のこと
初めましての方にも、仲良しの方にも、改めて今の私について知っていて欲しいので、簡単な自己紹介から。
私とデザインのこと
これまで、完全に独学でデザインに携わってきたのですが、正直なんとかなりました。でも、ちょうど1年くらい前から、「なんとかなる」という感覚で仕事を続けている自分が怖くなってきました。ここでの「なんとかなる」は、自分を鼓舞するような、前向きな「なんとかなる」ではないです。
全方位の経験が不足している自分に対して、「独学レベルだったら、まぁきっとよくやってる方だよ、大丈夫大丈夫、そのままでもなんとかなるって」的な、妥協と甘えのような意味合いが強いです。
まぁ、それはそれで良いこともありました。暗黙のルールとか、何十年とそこに染みついてる枠からはみ出ることもないので、誰も傷つけないし。でも、私はその感覚を手放したくて、手放す術を知りたくて、いろんなことをやってみたいと思うようになりました。
デザインという評価や判断が難しい分野に身を置く者として、曖昧だからこそ、自分の身の置き方は明確にしていきたいと思うようになりました。
そうした思いが引き寄せたものの1つが、昨年受講した「アートとコピー」。一言で言うと、デザイナーとコピーライターの最強コンビを誕生させる講座です。実際、ここでのつながりから、アワードで結果を出したり、展示会を企画したり、自主制作に取り組んだり、バラエティ豊かなクリエイティブが沢山生まれています。
これまでの生活や本業の往復では、絶対に出会えなかった人や想いに、沢山出会えた8ヶ月でした。その分、あらゆる分野に秀でた大人たちと過ごした時間は、めちゃくちゃしんどかったです。「なんだこれ全然遊べないじゃん」「仕事と勉強の両立なんてするもんじゃない」「さっさと終わらせて寝たい」何回も思いました。
でも「辞めたい」とは思えませんでした。それは、ひとりじゃなかったからです。私のクリエイティブに対する不安に、そっと寄り添ってくれたり、真正面から向き合ってくれたり。弱さも、強さも、ありのままを受け入れてくれる環境だったからです。この経験を無駄にしたくないなと思いました。
人と比べて勝手に落ち込まない。私は本当によく頑張ってる。そう思えた経験でした。
↑過去のnoteに色々書いてます。講師陣・受講者のみんなの声も、ぜひ覗いてみてください。
KANA NO KIROKU 365
ありのままの自分を、成長させたい。見栄っ張りなところも、プライドの高いところも、少しずつほぐしていけるように。素の表現を続けていくことで、素の自分をさらけ出せるようになりたいし、そんな私を受け入れてくれる人たちと、もっと沢山出会いたい。
そんな想いから、自主制作「KANA NO KIROKU 365」をスタートさせました。2022年4月1日から、Instagramで毎日投稿しています。
その日のことを、その日の音楽のことを、その日の私のことを、毎日自由に表現しています。
「奏」の記録を始めてから、今日で1ヶ月。すでに、心構えに変化が表れてきたような気がします。人や物や事について、もっと知りたい、もっと聞きたい、もっと見ていたい、そう思います。「興味を持つ」という感覚が、磨かれているような気がします。
1ヶ月前、お風呂の蓋は、お風呂の蓋に見えていました。今は、ピアノの鍵盤やすきっぱの歯、海苔巻きを作るときの巻きすに見えます。なんというか、そんな感じです。
おわりに
Instagram。Twitter。note。いろんなところで、私の存在を見つけてくれて、気づいてくれて、ありがとうございます。私の仕事と趣味は、魅せる工夫や伝わる努力なくして、楽しみきれないものたちです。これから何十年と続く「今日」のために、思い切り頑張ったり、思い切り頑張らなかったりしようと思います。読んでくれて、本当にありがとう。「奏」の記録が、ただの記録を超える日がきますように。