アートとコピー⑤|センリツイートの道もワンツイートから
センリツイートの道もワンツイートから
古代中国の思想書である「老子」の言葉が由来となった「千里の道も一歩から」ということわざに敬意を表した、この”もじり”。遠い旅路も第一歩から始まるように、影響力ある発言も、はじめは何の気なしにつぶやいた一言だったかもしれない。「自分自身の鍵を取っ払い、発信してみよう。」そんな想いに駆られた、アートとコピー第5回目の講義。
見つかりにいく努力。
私は、「見つけてほしい。」そう強く願っている。世の中に溢れかえっている才能の中から、どこかの誰かに見つけてもらうために飛び込んだ、アートとコピー。「頑張っていることを、知ってほしい。」「この才能に、気づいてほしい。」「自分の想いが、届いてほしい。」こんな願いを持つ人たちが、世の中にどれだけいるのだろうか。正直、私はSNSを使いこなせているとは言えない。SNSに対する苦い経験があるわけでもないし、言葉を紡ぐことが辛いわけでもないけれど、どうも苦手意識があるのだ。
講義中、「SNSをやれというわけじゃない。」そう話す阿部さんの想いが、ものすごく温かいまま私には届いた。この微妙なニュアンスに込められた想いを、どうにかして、私のものにしたい。手繰り寄せたい。私だけの感じ方や私にしか語れない想いがあるのなら、私だけの発信の仕方や見つかり方があるはずだから。
こう思えるのは、阿部広太郎さんが、お手本としてそこにいてくれるから。熱く、広く、太く、自分の発言に堂々と向き合う姿に、勇気をもらっている。すごく、かっこいい。こんな人が目の前にいる生活が当たり前になりつつある今が、とても幸せだ。
けれど、私はまだ、「やってみたら?」と背中を押されたことしかできていない。もちろん、そんな自分のことも大事にしてあげたい。でも、もうちょっとすごい自分になるためには、誰かの「やってみたら?」を待っているだけではだめなんだ。「やってみたい!」に、真正面から向き合えたそのとき初めて、本当のスタートラインに立てたと言えるのかもしれない。
見つける努力。
「見つけてほしい。」そう願ったばかりだけれど、もうひとつ、叶えたい想いがある。それは、「見つけたい。」ということ。「見つける力」と「見つけられる力」この2つがなければ、どちらの願いも叶わないと思う。私を見つけてくれる誰かを見つけたいし、誰か見つける私を見つけてほしい。
さて、それじゃあ私にできることはなんだろう。まずは、このアートとコピーを全力で走りきること。あらためて、岩手の街からこの空間にいれることは、当たり前ではない。阿部さんや事務局の皆さんの熱い想いがなければ、オンライン受講はなかったかもしれない。この数ヶ月、もしアートとコピーがなかったら、私はどうしてたんだろう。ぼんや〜りとやりたいことを夢見ながら、仕事だけを淡々とこなす毎日だったんだろうか。そんなことを考えては、ゾッとすることがある。間違いなく、アートとコピーは、今の私の原動力だ。
現役のアートとコピー生でいられるのは、あと78日。この時間をどう使うかは、自分次第。78日後、この記しに恥じぬ自分がそこにいますように。