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「ない」ものばかり見てちゃ進まない

自分が憧れている人と会話すると「ないものねだり」の感情に襲われることがある。「私はこの人みたいなことができていない」「どうすればこの人みたいに面白いことができるんだろう」という感情になり、「あれ、私って何持ってたんだっけ?」みたいな感情に襲われることがある。

けれど、「そもそも前提が違う」ということを最近意識するようになった。その人の得意なことと、自分の得意なことは”そもそも”違う。この人が苦手なことと、自分の苦手なことは”そもそも”違う。”そもそも”違うということは、「初期設定で所持している武器が違う」ということな気がする。

「違う武器を持っている」ということは、「違う道のすすみ方がある」ということである。「あの武器もってないからこの道すすめない」ではなく、「この武器もっているから私はこっちの道に進むことができる」という考え方をする。

使い古された言い回しだけれど「ないものではなく、あるものを見る」ということな気がする。頭を使うべきは、「ないものを補うにはどうするべきか」より「あるものを生かすにはどのような環境作りが必要か」ということな気がする。

この”環境作り”というのも、ミソな気がする。前提として「人間はそんなに簡単に変われない」ということをここ最近意識している。怠け癖がある人はほっといたらどうせ怠けるし、心配性な人はほっとくとすぐにあれこれ心配してしまう。豪快で楽観的な人が、急に次の日から繊細で悲観的な人にはならないし、「もっと気楽に考えたら良いじゃん」と言われた人は3日後くらいにはもうあれこれ考えてしまっている。

ゆえに、「どうにかして自分の性格や考え方を変えよう」じゃなくて、「どんな環境作りをしたら願っているように動くことができるのか」を考える方がいいんじゃないかと思う。ウチ(内面)を変えるんじゃなく、まずはガワ(側)から変えて固めていく。

以前本で読んだ、伊藤ガビンさんという編集者の人の話が面白かった。その人が文章を書くときは『ワードファイルを開いてまずはつらつらと思っていることをなぐり書きし、途中から徐々に本題にうつり、最後に序盤の関係ないところを消す』という方法を紹介していた。これは「書き始めることの腰の重たさ」を「なぐり書くことでスタートしやすくする」というガワの固め方じゃないかと思った。

自分の持ち物を見つめることは、自分の満たしかたを知ることでもあると思う。という、最近思ったことのメモでした。(2020年10月10日)

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