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ビブラートきかせるだけの歌手になっちゃだめ

どんな形であれ、表現物は作者のメッセージや意図を持っていると思う。

何かを作る人というのは、生活の中に漂う美しいものや面白いことを掴んで離さず、「これのどんなところが面白いんだっけ?」と、そのものに被った埃を丁寧にはらい、そして作るものに取り込んでいるんだと思っている。

小さい頃から、ビブラートをめちゃくちゃ効かせる類の歌手が苦手だった。というのも、その類の歌手が歌うのを見ると、「さぁ、私の素晴らしい歌唱力をご覧になって!!」みたいに言われてる気がして、歌詞の内容が全然頭に入ってこなかったからだ。

きっと、その歌にもメッセージはあったんだと思うけど「なんか、ただ技術をひけらかすようで、イマイチ好きになれないな」とか思っていた。

私は絵を描いている。ここ最近は、絵の中で何を表すのかというウチ(内)のことよりも、どんな絵の描き方をしようかといったガワ(側)のことばかり気にしていた。そして「あれ、これって私が苦手だったあの歌手と一緒じゃん」と気づいた。

昨日は、オードリーの若林と小説家の西加奈子さんのラジオを聴いていた。西さんは「小説で、あるひとつの物事や感情を描こうと思ったら、すごーーーく遠回りをしないといけない」といった主旨の話をしていた。

一枚の絵とは違って、時間の流れと重層的な文章の上に成り立つ小説には、大変な遠回りをしたからこその味わいがあるように感じた。私はガワのことばっかり気にしていたけど、もしかしたらそのガワを使うことは適切ではないのかもしれないし、その前にウチの成熟がまだまだ足りないように思えた。

にしても、西さんの言葉選びがすごくて「なんでそんなに的確な言葉を引っ張ってこれるんだろうか」と思った。あと「この人は、自分が見つけた違和感や疑問を掴んで離さない人なんだな」とも感じた。大抵の人だったら「こんな風に思うのは多分おかしい」と、誰にも気づかれないところで捨ててしまう感情を、この人は捨てずに自分の横に置いておくのだろうなぁと思った。

「考えすぎだよ」とか「それは普通じゃないよ」と言われるのが怖くて殺していた感情も、一旦自分の横に置いておくのもいいかもなぁと思った。

2021年1月10日 強風吹き荒れる神戸にて

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