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喧嘩ではなく、議論をしよう

自分のことを話すのが苦手だ。もっというと、自分の中で整理がついてないことを話すのが苦手だ。

人に話せる状態に『完成された』ものというのは話しやすい。完成されたものには指摘や意見が少ない。「へぇ〜そうなんだ、いいじゃん」で終わる。気持ちいい。

しかし、整理されてないことというのは「ここはこうしたらいいんじゃない?」とか、「ここは違うと思うよ」とか、ツッコミどころ満載である。私はきっとこのツッコミを恐れていたところがあった。

議論をすることは、喧嘩するのとは違う。ある目的に向かって、どうしたらそれが良くなるかを話すことは議論であり、私情にまみれた喧嘩ではない。けっして混同してはならないところだ。

友達から「どうしたら自分が可愛くなれるか?」を本気で考えている女の子の話を聞いた。もし本人が「私は前髪があった方が可愛くなるんじゃないか」と思ったとしても、人に「前髪ない方が可愛いし似合ってるよ」と言われて納得したら、素直にその意見を受け入れる。この素直さには学ぶべきことが多い。

自分がこう思われたいとか、思ってることに共感して欲しいとか、そういう自分の主観的なことではなくて、「可愛くなるためにはどうしたらいいのか?」という客観的なところをきちんと見れているのだと思った。建設的である。

私は何を恐れていたのか。自分のことを喋って、ここはこうじゃない?って言われたら素直に聞けばいい。違うと思ったらまた自分の考えを言ってみればいい。ただそれだけのことなのに、何を私はごにょごにょと考えていたのだろうかと思う。

余計な自意識を捨て、素直でありたいものです。そうすれば色んなことがまるまるっと解決するような気さえする。



写真:最近毎日お世話になってるコースター。内容と関係あると見せかけて、無い

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