ゆてみ

生活の中で思ったこと・ラジオを聴いて思ったこと・本を読んで思ったこと

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最近の記事

人生は決断の連続

決めたことに対して自分の心のあり方を決めるのは自分。 強い言葉。 自分をどうやってもっていくか? 私は自分をどんなふうにもっていきたいのか?そんな明確な目標あったっけ?今まで目標に向かって自分の力で進んできたっけ? 全然分からない…と思ったらあった。結婚。 20代後半、ものすごく「結婚」したかった。誰とじゃなくて「結婚」というものが欲しかった。 家を出たい、仕事を辞めたい、いろんなもやもやがあって「結婚」がそれを全部解決してくれると思ってた。 今考えたらかなりひ

    • 大人とは泣きながら片付けができること

      いらいらして机の上にあるものをがっしゃーんとして終わり、ではなく、そこから泣きながらでも元に戻す、自分で片付けをするのが大人。 私はそれができていない。 いらいらして当たり散らして優しい人たちに許してもらって片付けを手伝ってもらっている。 家族はみんな、私の身勝手な振る舞いを静かに見守って、いいところで手を差し伸べてくれる。 でも、仕事に関して、そこだけはだいぶ大人になっていると思う。 失敗しても悩んでも、無理って投げ出せずにどうにかこうにか始末している私はきっと大人だし

      • 時は戻せない

        私も「一生懸命はダサい」「きゃーきゃー言うの子供っぽくない?」って斜に構えた学生時代を送ってしまった。 今振り返って思う。学生時代もっと一生懸命楽しめば良かった。素直に喜んだり悲しんだり、真っ直ぐ世界に向き合えばよかった。 高校時代の体育祭。 クラスのほとんどの女子が応援団で一生懸命練習しているのを校舎の窓から眺めてた。用事もないのに放課後残って。 高校時代の修学旅行。 みんなが制服のまま海に入っていくのをホテルの窓から眺めてた。 そんなふうにいつもいつも俯瞰して見て

        • 自分にぴったりの取扱説明書

          生きていれば思うようにいかないことばかり。 私はただただ普通に暮らしてるだけ。昨日と何かを変えたつもりはない。 それなのに「え、なんで?」なことは沢山。 家族につらく当たったときは「私ってなんて自己中なんだろ?」って思うし、嫌いなあいつが不幸に見舞われたら「ざまーみろ」興味のない芸能人が叩かれてたら「え?なになに?なにがあったの?」って途端に興味を持つ。 そういうままならない自分と嫌なところがちらほら見える自分。その自分と今後も付き合っていかないといけないわけだから、取扱

          「のようなもの」でいること

          私は母「のようなもの」だから、完璧にはなれないし、それでいい。 もちろん母なんだけど、母であろうとして頑張り過ぎててしまうと失敗したときに自分を責めてしまう。 あーこんなことしなけりゃよかった、母失格。もう消えたい。 というのは私の口癖みたいなもので、簡単に言うものではないとも思うけど、どうしてもそう思う。いや、言っちゃう。 でも、最初から完璧な母なんてなれないし、むしろ完璧って何?理想の母って何?となってしまうので、自分は母「のようなもの」だと思うことにしたい。 今日

          「のようなもの」でいること

          ものごとの分析

          何かを嫌って思ったときに、なぜ嫌なのか?具体的にどの部分が嫌なのか?そういうのを細分化できる能力が欲しい。 私は小学生くらいから不安が強くて、何でか分からないけど学校に行きたくなかった。 友達はいるけど学校に行きたくない。 勉強もできるけど(嫌味で言ってるわけではなく)、先生の言うことは分かるけど学校に行きたくない。 そんな子だった。 そんな私が学校のどの部分を嫌と思っていたのか分析できていたら、登校を拒否するのではなくて他の方法で対処できたのかもしれない。 とは言え、

          ものごとの分析

          熊さんがメロウな気持ちに

          クラシックを聴かせながら育てた牛、豚、鶏。 ほら、脂肪がまろやかに舌の上で溶けていくでしょう。黄身のふくらみが違うでしょう。 品質が高まっているでしょう。 クラシックが合わないなーっていう牛、豚、鶏は逆に肉質が硬くならないのだろうか。 私の血肉を作ってきた音楽は様々で、パンクロックでノリノリになりたいときもあればしっとりバラードに身を委ねたいときもある。 気分によって、いつも聴いてきた音楽を全然受け付けなくなるときもあって、それをひっくるめて私を作っているのだとしたら、多

          熊さんがメロウな気持ちに

          過去を飼いならす

          私の性格の分析。 小~大学生くらいまでずっと「不安感が強い」「くよくよ考えがち」みたいな言葉が1番しっくりきてた。 今もふとした瞬間にひょこっと顔を出すそれらの性格。 だけどね、私はもう社会人。 お金をもらって働いている。 人前で喋れと言われたら喋れるし、30人くらい率いて研修旅行に行けと言わせたら、文句を言いながらもやってみせる。 なんなら計画も全部立ててやる。 指示を出された瞬間は「いやだな」「できるわけないじゃん」と思う。真っ先に思うけど、なんだかんだできちゃう

          過去を飼いならす

          ばあちゃんの日記

          ばあちゃんは日記を書いていた。 畑の野菜たちの育成日記。 それは種まきの時期、水やりの頻度、肥料の種類や量が記録されていた。 とても大胆な字で、内容は細やか。大学ノートにびっしりと書き綴られていた。 それを見たのはばあちゃんが精神を病んで入院してからだったと思う。 小学生の頃はばあちゃんのことも好きだったけど、大学生、社会人になるほどばあちゃんのことは苦手になっていった。 苦手というよりはむしろ嫌い。 うざいわー、なんなのこのばばあ。 そんな風に思うことはよくあって、そ

          ばあちゃんの日記

          繋がる「好き」

          好きな人とその人が好きなもの、私が好きなものは繋がって、「好き」が円になったら幸せ。 好きな人が好きなものを自分も好きになれたらいいなっていうのが心の奥にあって、「この人が好きなら私も好きになるかも」ってついついそっちの方まで触手を伸ばす。 思い込みとか、「そうだったらいいな」もあるんだけど、そんな中でももともと自分が好きだったものを好きな人が「好き」って言うのを目の当たりにすると「ほらねー」やっぱり感性が似てるんだよ!なんて誰かに言いたくなる。 幸せだなぁって。 『

          繋がる「好き」

          嫌いな食べものがない人

          私には嫌いな食べものがない。 野菜全般、大体好きだし、肉も魚も好んで食べる。 でも本当は小学校の給食で出てた卵とハムとグリンピースが入ったカラフルな炒め物とか、紫色に染まった漬物とか、やけに炒めすぎてるたらこスパゲッティ、嫌いだった。 今は肉の脂身が苦手だし、ポン菓子は好んで食べない。 食い意地が張ってるから、ひとまず手を伸ばして食べて、「あーやっぱりそんなに好きじゃない」って確認する。 咀嚼して飲み込むまでに「無理だわ」と思うことがないだけで、苦手なものはそれなりにあ

          嫌いな食べものがない人

          考えるのが好きな性癖

          文章の中の言葉を見て「この人はなんでこういう表現したのかな」「ていうことはこう思ってるっていうことかな」と続いていく流れが好き。 小学生、中学生時代は「妄想が趣味」と言うことに憧れていて、それはそれで変なんだけど、でも「自分は変な人なんだよねー」みたいなことを言いたがっていたきがする。 そんな変人に見られたい変人な私、大人になるにつれて普通だって実感した。 だから、1つのことを掘り下げて読み取ろうとする人の思考に触れるとすごく興味がわいて、じーっと見たり耳をかたむけたりす

          考えるのが好きな性癖

          後悔しないようにするには決断するしかない

          私たちの毎日は決断の連続というのはみんな知っている。 メニュー表を見ながらうどんにするかトンカツ定食にするか。与えられた物から選ぶ。 あと2時間あるけど、その間に本を読むか家事をするか。自分のやりたいことややらなきゃいけないことから選ぶ。 そういうことを繰り返して日常は続いて、それが私を作っていく。 遠距離恋愛をしていた4歳年下の彼。毎日寝る前に電話をして、休みがあえば私が会いに行く。 新幹線に乗って、電車に乗り換えて、バスまたはタクシーに乗る。 時間がかかるわりに「

          後悔しないようにするには決断するしかない

          すでにあるものから学ぶ

          地球とか時間とか、人間以外が作った物を見て学ぶ。 周りを見てそれに気づけるかどうか? これはデザインとか創作だけの話じゃなくて、生きていく中でそういうのって必要なのかも。 …必要というと堅すぎるかな…。 人生が面白くなるっていうのも大げさかもしれない。 でも、今そこにある何かを「あれ、これってこんなんだっけ」と思えると世の中には不思議なことだらけ。考えることだらけだと思う。 それって疲れそうだけどおもしろい。 『BITS & BOBS TOKYO』 1/5(金)

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          思い出は改ざんしても良い気がする

          思い出なんで改ざんしても良い気がします。 こんな変化球を投げてくるなんて思わなかったから、まともにくらってしまった。 私には暗い過去がある…なんてたいそうな過去は抱えてない。 だけどほろ苦い思い出は沢山あって、思い出すたびに胸がチリチリする。 でもこの「ほろ苦い」の「ほろ」だって思い出の改ざんかもしれない。 「ほろ」ってなに? わざとじゃないにしても彼氏の洗濯物にカビをはえさせたり、忙しいのに何度も電話したり、その頃は「ほろ」なんて言えないくらいの必死な気持ちを抱えてい

          思い出は改ざんしても良い気がする

          お腹を見せあう

          酔っ払って同じ話をしてきゃっきゃ笑うこと。それを猫がお腹を見せるのと似ている、とはよく言ったものだなと思う。 取引先との飲み会では気を張っているので、私自身はぐるぐると同じ話を何度もしないし、同じことでぐだぐだ笑い合ったりもしない。 気心の知れた友人とは「高校の時あぁだったよね」なんて、久しぶりに会って久しぶりの話題よりもいつもの話題で盛り上がっちゃって。 そう、まさにひっくり返ってごろごろして気持ち良い感じになでてもらって満足満足。 そういうのいいなぁ。その場にお酒

          お腹を見せあう