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早暁に眠った私

こんにちはこしあんです。

急にnote始めて、どうせ書きたいことだけ書いて放置する未来が見えてるんだけど、どうしてもこの半年のことを記録に残しておきたくて。忘れられない半年。舞台の稽古期間って全部大事で大好きな思い出だから、忘れたことなんて一度もないんだけど…今回のこの半年は特別だったから文章に残す。鉄は熱いうちに打てって言うでしょ。だから心が熱いうちに書いちゃう🥵
半年分をぎゅっとまとめるので長いです。お暇な時にお読みください。

早暁に眠るとの出会い

まず、最初にオファーを受けたのが2020年8月。ちょうどカンパニーメンバーのはなちの家に遊びにきてて、2人でくだらない話をしてたら連絡が来て、なんと私は、「ストーリー」「キャストメンバー」「自分の役」を何も聞かずに即答で出ます!と答えました。割と大事だよねストーリーなんて笑笑 でもなんの迷いもなかったです。だって六条さんといぶさんだったから。そこから私の長い長い戦いは始まりました。

ちょうどその時コロナはなんとなく落ち着いていたような時期だった気がしますもうあまり覚えてないけど。来年の3月末が本番ですと言われ、その頃にはコロナも落ち着いているだろうというなんの根拠もない自信がありました。フラグ〜〜〜

私はまたミュージカルができるんだってことにすごく喜んでいました。まあ和物ってことすら知らなかったんだけどね()その後に和物で全員男役ですって知らされて全身の血が凍るかと思ったよね()

稽古が始まるまで

稽古は12月からと言われていました。8月から12月までにやることは、顔合わせだったり、台本だったり、係決めだったり…それぞれ色々ありました。私に与えられたミッションは制作として皆の日程合わせ、そして稽古場の環境を作り出すことでした。それがまぁ〜〜〜大変。何しろコロナで何もかもが変わっている。私はこの半年間、何が大変でしたかと聞かれたら間違いなく稽古場環境を作り出すこと、と答えます。新宿区の施設と、そして新しく板橋区の施設を開設して、なんとか稽古場を捻出しました。

稽古が始まってから

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12月になって、稽古が始まりました。でもその頃には、凄い勢いでコロナが力を増していました。私たちはスタートを切った瞬間からコロナにやられ、もしかしたら…という嫌な予感に悩まされることになりました。
すごく憂鬱だった。世間では感染者数が毎日報道される。どんどん増える。どんどん世間が鬱な空気になっていく。私たちはこのままでいいんだろうか、どうなってしまうんだろうか、せっかくスタートを切ったのに……口には出さなかったけれど、本当はとても不安でした。でもそんな中でも、12月に私の誕生日を稽古場で祝ってくれたカンパニーメンバーのみんなにとても救われました。誕生日最高(語彙)

あ〜やっぱり緊急事態宣言

そのまま年が明けてすぐ、感染者数が2000人を超えて、これはさすがに…と思った矢先に緊急事態宣言が出ました。当然私たちも対面稽古を中止しました。練習のために使う予定だった施設は全て閉まりました。私たちの中でも色んな意見が出て、オンラインをつないで何度も話し合いました。でも、誰も、「もうやめよう」って言わなかった。今をどうするか、の話し合いは行われていたけれど、やめてしまおう、降りてしまおう、と言う人は誰もいなかった。私は正直、もうやめようよって誰か言い出すんじゃないかと怯えていたから、心の底から嬉しかったし、この人たちとなら絶対できるなと思ったのを今でも覚えています。

そしてこの時期の話し合いで、3月は無理だ。延期をしよう。というのが決まりました。今だから言えること!絶対当時は言えなかったけど、私は、本音を言うと、「やったーみんなといられる時間増えた」と思ってました。まぁなんてお気楽なんでしょう。

ひたすら我慢のオンライン稽古

私たちは緊急事態宣言が明けるまで、オンラインで稽古を続ける選択肢をとりました。セリフを全部覚えて、また会った時に胸を張って会えるように(?) でも、オンライン稽古って難しいんだよね。
だって目の前にその人はいないんだもん、ラグもあるし、演技のしにくさはとてもありました。セリフを覚えることはできるから、皆でやりにくいながらも毎度毎度工夫をして何度も繰り返してやってみたり、ゆっくり演技中心にしてみたり、オンライン稽古を乗り越えて行きました。でも会えないのはキツかったなぁ…笑笑 その人に対する感情がリモートだとあまり進化しないから演技にもあまり身が入らないというか……いやダメなんだけど。

やっと会えたね私たち!!!

1〜3月の長い長い緊急事態宣言を終えて、やっと私たちは対面で稽古ができるようになりました。オンラインのラグのある状態でしか会話をしてこなかったから、最初の稽古はすぐ反応が返ってくることが慣れなくて、ぎこちない感じになっていました。しかし私たちは無謀なスケジュールが大好きなので()対面稽古が始まった1週間後に最初の通しをしました。今見るとみんな下手すぎて笑う。

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↑ぬるぬる動く私たち。いや常に本気だったんだけどさ、今見ると、やる気あんの〜〜????みたいに見えるからウケる。

この頃から、やっと動きを覚えてセリフを覚えて、少しずつ、役について考えようねモードに移行していた気がします。後、この頃、藤四郎が会話をするのは全てのシーンを通して日下さんだけということに気付いて笑いました。日下さんガチ勢ですね。本当に会話をするのは日下さんだけなんです。でもそれもそれで幸せだったかな♡笑

みんなで行ったよ楽しい水戸!

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3月27日。本当であれば本番の1日目だった日に、私たちはビジュアル撮影をするために水戸まで遠征しました。この日までに何度も何度もシミュレーションを重ねてきたかいとくんとなんばさんという最強カメラマンおふたりの力を借りて、予告用の動画とパンフレット用の写真を撮影しました。なんとかスケジュール通りに撮影できたのは事前準備をしてくださった先輩方のおかげです…。

そして私はというと、体調不良の腹痛で撮影直後にぶっ倒れ、皆にとても迷惑をかけました😇本当にごめんなさい😇助けてくれたみんなありがとうございました。みんながいなかったら私は帰りのパーキングエリアでフラペチーノを飲むことができなかったと思います!!!!!フラペチーノ美味しかった!!!!!!!!!ちなみに腹痛起こしたらその後はしばらく冷たいものって飲んじゃいけないらしいですよ。学びですね。

早暁に眠るポーズ、可愛いでしょ。次の流行はこれで決まり。

4月!私のメンタルがだんだん藤四郎に蝕まれていくよ!

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4月に入って稽古はだんだんと本格化していきました。ところが!私のメンタルが!藤四郎くんによって!抉られていくようになります!藤四郎こわ!
「なんでこんな生き方をするのか」理解が全くできなくなってきていました。今は納得できているけれど、この時は「好きなら好きって伝えてから死にたい。何も言えずに死んでいくなんて耐えられない」と思っていました。
もうこの役は私にはできないかもしれないというところまで来てしまい、なんばさんに泣きながら電話をしたのはいい思い出。私は誰にも愛されない………みたいな思考にまで陥るので恐ろしい少年です藤四郎。
なんばさんいつもごめんねありがとう。なんばさんのアドバイスはとても納得感のあるもので、もう少し頑張ってみようと踏ん張ることができました。
それでも、稽古場にいても、皆がすごく楽しそうで自分だけ違うみたいな、そんな気分になることも度々あって、クッソ〜藤四郎め〜、という感じでした。今は藤四郎のこと大好きなので大丈夫です。

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長州藩は仲良しなんだよ。

はじめての殺陣の稽古もこの時期に始まって、予想通り私は全部がダンスになってしまう人なので、苦戦が始まりました。でもできないでは済まされないので家でも練習、電車でもイメトレ、という感じで殺陣と向き合っていました。ちなみに私は殺陣を「さつじん」と読んでいました。そんなんだから日下に殺されるんだよ。

そしてこの時期、役のことだけじゃなくて、稽古場環境もどんどん目まぐるしく変わっていました。何故ならコロナがいるからです。
いつどこでどう稽古をするか、常にスケジュールと睨めっこ、時には公園も使って稽古をするようになりました。公園で稽古できるのは5月までが限界ですね、暑い。稽古場を確保すること。本当にHPを削られました。でもカンパニーメンバーに会うと、楽しくて、大好きで、逆にこの大好きの気持ちが無ければ続かなかったなと思っています。
ちなみに余談ですが、戸山公園に行くと刀を持った人たちがたくさんいます。私たちだけじゃなくて、みんな幕末の武士なんですね(違う)

演出のいぶさんはもちろん、六条さんも私たちに昔の日本人の作法を教えてくれたり、いろんな動画を見せてくれました。私の殺陣をいつも熱心に見てくれたのも、ていると六条さんでした。ありがとうございました。
なりは劇中で使う全ての小道具を夜遅くまでかけて製作していました。(家中紙だらけになってたのワロタ)
ているは音響を統括しつつ、主役として頑張っていたし、はなちは激務の中、頑張って稽古に来てくれていました(ありがとう、、、、!)
そしてみやこは!元気いっぱい!遅刻もせず!稽古場の空気を明るくしてくれていました。
なんばさんは音響や殺陣、パンフレット。
時雨さんは私たちの衣装を。
メンバー全員が頑張っていました。えらい私たち!

5月。メンバーのいろいろな気持ちを知ったり、ぶっ倒れたり(2回目)

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5月に入って、技術スタッフさんたちが通しに来てくださり、打ち合わせをしたり、殺陣の音が決まったり、ああ本番が近づいて来ているんだな、という気持ちと共に、メンバーと長い時間話すことが増えました。

それぞれの忙しさ、環境があるから、考え方も当然違っていて。そして毎週末の長い時間の稽古に身体的にも疲弊していく。単純に、私たちは長い稽古期間で疲れ始めていたのだと思います。自主練のやり方について話し合ったり、舞台に対する考え方を聞いたり、自分の仕事について話したり…色々なことをメンバーと話した気がします。時には朝の4時まで電話をすることもありました。次の日の仕事は地獄でした。
それぞれが限界に少しずつ近づいている中でも「やめたい」とはならないこと。それはこの5ヶ月で培った絆なんだなぁとぼんやり思っていました。たった7人しかいないカンパニー。それぞれが、それぞれの弱点をカバーして、なんとか立っている、そんな状況でした。

後、5月の中旬くらいに、いぶさんに「母親のような愛だよ」とアドバイスをもらってから、急に藤四郎の生き方を肯定できるようになって、「見返りを求めずに自分が好きならそれを貫けばいい!とぅきです!!」という超絶ポジティブメンタルを身につけました。
相手が何をしていようとその相手を肯定して好きだって思える藤四郎………私が甘やかしたい!!!!()
そもそも、可哀想だと演じる私が思ってしまっていたからダメだったんですね。可哀想じゃない、彼は彼の人生に満足していたんです。
いぶさんありがとうございます。トンネルからやっと出られた…!みたいな感覚でした。

そして私は相変わらず稽古場確保のために板橋区施設や都内ダンススタジオと常に戦っていました。()
メンバーの中にはおやすみが不定期の人もいるので、みんながバランス良く稽古できるようにするためには調整が必要でした。

そんなこんなでパンフレット用の座談会なんかもやって、皆の気持ちがぎゅっと改めてひとつになって、本番に向けて走り続けていましたが、5月末に私的大事件が起きます。

ぶっ倒れました!😇(2回目)
もちろん新型コロナ感染症ではなかったのですが、40度近い熱が1週間続き、お腹を下してしまい、何も食べられない状態になりました。当然稽古も全部休み、点滴でなんとか頑張る、みたいな状況。その時が5/24とかだったので、本番への危機感がありました。
あまりにも熱が下がらないので、免疫がイカれてしまったのかもね、なんて言われ、もしかしたら私は本番どころか普通の生活ができなくなるのかも、と恐怖でした。そしてそこでも登場するのがなんばさん。ギャン泣きして電話をしました。なんばさん、本当にごめんなさい今度何か奢らせてください🙇‍♀️
なんばさんは、突然電話をして、ぎゃぴーーーー!!!と泣き出しても、ちっとも驚かず、どうしたどうした、と話を聞いてくれました。「後2週間もある!絶対治る!寝ろ!」と言われ、すごく精神的に元気になったことを覚えています。

夜中まで寝ずに看病してくれた両親にも頭が上がりません。大学病院の消化器科にだけは行きたくないと駄々をこねてすいませんでした(絶対痛いことされるので) 。
後日、父の部屋に入った時に、点滴が数時間でどれだけ落ちるかの計算式がびっしり書かれた紙を見て、人知れず泣きました。でも父には直接ありがとうが言えません。私もまだまだダメですね。今週末の父の日には点滴をプレゼントしようと思います()

カンパニーメンバーもLINEや電話をくれて、その度にメソメソメソメソしていました。メソメソのメソメソ。
この半年でいちばん体調崩していたの、間違いなく私。ごめんなさい。


ちなみにこれは丸1週間かけてなんとか熱を下げて挑んだ最終通しの日の写真。いぶさんに介護されてる????

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なんだか訳の分からない体調の崩し方で大混乱でしたが、そこからだんだんと回復していって、本番を元気に迎えることができました。あーよかった!

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ちなみに私はこの日、下ろしたての白いTシャツにコーンスープをめっちゃ溢して悲しい気持ちになりました。

6月。ケーキ屋さんでケーキを買う。

は?みたいなタイトルなんですけど、劇場入りする前に、劇場稽古を2日やらせていただけたんですね。で、その帰り道に、商店街の中にもう夜遅いのにやっているケーキ屋さんがあって。そこでみんなでケーキを買ったのがすごく思い出になっています。あんな時間にやってるケーキ屋さん、変だよね?←

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最終稽古まではあっという間でした。正直、6月の本番までの記憶はほとんどない。それは私の脳みそが足りていないから?そうかも☺️でもなんかみやこと最終稽古後に「いぇーーい」って拳を合わせたことは覚えてる。まあそんなこんなで、私たちは最後までドタバタしながらも、劇場入りをしました。

劇場入りしてからもバタバタは続く

舞台を経験している人なら分かると思います。劇場入りの前日の夜は、精神統一して、役と向き合って、「今までありがとう、藤四郎…」なんてエモいことを思う。そんな理想のナイトルーティンは存在しません。
んぎゃぴーー!!!!!!!!となりながら準備をしていました。刀に銀スプレーかけたり(父が)、衣装を綺麗にアイロンかけ直したり、髪を黒くしたり…しかし社会人なので普通に仕事はある。しかも何故か本番近くなると打ち合わせがジャンジャン入る。私は劇場入りの昼間に初めて、社会人で舞台って無理じゃね!?と思いました。無理じゃなかったけどね。
応援チケットのメッセージを本番前日…いやもう当日か。朝3時まで書いてた時は、部屋で「これが本当の、早暁に眠る…か…」とか呟いてました。色々限界。

最高に手厚いサポートをしてくださる技術スタッフさんたちのおかげで場当たりは順調に進み(時間はタイトだったけど)、いよいよゲネプロ!!

ゲネプロでも事件が起きます!
コンタクト超取れる!!
舞台はスモークを焚いたり、明るい照明があるので乾燥はするんですけど、え?そんなとれる?ってくらいとれました。特にみやこ()
私は日下に「脱藩、するつもりですか?」と問い詰めた瞬間にコンタクトが目から脱藩していきました。
そして殺陣でも脱藩していきました。
それを救ってくれたのは当日スタッフのサナちゃん。
彼女は私が助けて〜とSOSを出した10分後にはコンタクト屋さんに行き、購入し、なんと私が死んでから()カテコまでの間に戻ってきてくれたのです。そのコンタクトをつけて、無事にカテコに出ることができました。サナちゃん、ありがとう。

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本番だよ

お客様に自分たちの姿を見てもらえること。この半年間、それをゴールにずっとやってきました。
照明に照らされて、お客様を見た時、思わず泣きそうになりました。ずっとやってきて、この時のために頑張ってきてよかった、と心から思いました。

本番中は、ちょっと時間があると、舞台裏に自分だけのスペースを作って座っていました。六条さん曰く、自分の部屋作ってるじゃん、とのことでした。私が座っている場所にはかわるがわる、色んなメンバーが遊びにきていました(違う)。でも、舞台奥のお立ち台の近くに座っていると、私にだけ見える演者の表情とかがあって、とても特等席だったと思います。彼女はこんな表現をしていたのか…と、改めて皆から勉強させてもらっていました。
後は、舞台へと向かっていくメンバーの背中をトントン、と叩いて送り出すことができる場所にずっと座っていたのも、良かったなと思います。真っ直ぐ前を見て舞台へ歩いていく姿は、本当に美しかったです。

本番中の私たちの演技がどうだったかは、お客様の感想に委ねようと思います。私たちは常に全力でやったので、悔いは残っていません。
ただ、舞台の上で目を合わせるメンバーたちのキラキラな瞳がとても綺麗で、すごく嬉しくなったことを覚えています。まあ私本編で一度も笑わないし日下さんとしか喋らないんですけどね。

終わってしまった半年間の夢

どんなに稽古期間が長くとも、本番というのはあっという間に終わってしまいます。いぶさんも言っていましたが、舞台は幕を上げたら降ろさなくてはいけません。私たちの舞台も幕を降ろしました。
ホッとしました。やっとゴールに辿り着いたんだと。でもそれと同時にやっぱり寂しくなります。
悲しい藤四郎の人生を生きることはなくなる。それも、少しホッとします。やり遂げたんだなと。でも、同時にとても悲しいです。私が彼になることはもうできないから。
私は舞台が大好きで、カンパニーのみんなが大好きで、その気持ちだけでここまで走ってきました。長い道のりでした。8月に誘われたことを思い返すと、随分遠くまで来たんだなと思います。
その長い道のりで、私は大事なものをもらいました。

自主公演で関わる人たちは大抵いつも同じメンバーなので、もう既に仲良し、だったり、もう何度も同じ舞台に立っていたり、そういったメンバーが多いのですが、今回はじめましてのメンバーやスタッフさんがいました。
脚本演出のいぶさんも、これまであまりご一緒させていただくことはありませんでした。
いぶさんは稽古の途中から無言で私にハグをしてくることが増えて、嬉しかったです。慣れてくださった。←
半年間で、単純に仲良くなって、大事な人が増えたこと。それが私の何よりの収穫だと思っています。もちろんカンパニーメンバー全員と絆が深まったのだけれど、ある人に「この公演を通して貴方自身をすごく好きになれた。」と言われた時に私の涙腺はパーン!と崩壊しました。まあそれでなくても私はすぐ泣くんですけど。
また、ある人には「無条件に好いてもらえて、すごく救われたし、自然な自分でいられた」と言ってもらえました。それもまた泣く。何みんな。やめて。泣いた。
好きな人が増えること、そして願わくば好きになっていただけること、こんなに幸せなことってないと思います。
それをすごく、この公演で強く感じました。

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それから、カンパニーメンバーでなくても、サポートしてくれる人がいることのありがたみを感じました。
当日スタッフさん、技術スタッフさん、時雨さん、なんばさん、カイト。そして何より、このご時世でありながら劇場に足を運んでくださった方々。
舞台に直接出ていないのに涙を流してくださるスタッフさんのことを見て、私はまた泣きました。泣きすぎ。
本当に、ありがとうございました。
そして最早恒例になりつつあるさわちゃん。衣装貸してくれてありがとう。ディズニーで着物の衣装相談をしたことが懐かしいです。半年前だったね。
さわちゃんからのポストカード、宝物です。

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いぶさん、六条さん、はなち、ている、なり、みやこ。半年間、こんな私を支えてくれて、ありがとうございました。また皆と、何かできることを心から楽しみにしています。てか普通に遊んでね!?!?!?クソ寂しいよ!?!?!?

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最後に、これまじただの私の自己満なんだけど、千秋楽の帰り道に「藤四郎、幸せになれたのでは!?」ショットをこっそりなりが撮ってくれていたのでここに載せておしまいにします。
藤四郎ー!!!!!!!半年間ありがとうー!!お腹刺されるのはさすがに痛かったよね!!!来世では幸せになってねー!!!!!!!!!!

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早暁に眠った私、おしまいおしまい。

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