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平成生まれ、昭和の「家庭観」

「誰の金で飯食ってると思ってんだ」
「俺は子供産むこと以外はなんでもできる」

今どきこんなセリフを平気で吐く人はそうそういないだろう。

二十数年前、私の家では当たり前に聞いた言葉。
同年代の人達の家でも聞いたことがない人ももちろんいると思うし、時代のせいにしたい訳では無い。

私の父がそういう人だった、と言うだけの話。
しかしその言葉は私の家族観の形成には大きく影響を与えた。

母は結婚を機に退職し、2人の子育てが落ち着くまでは専業主婦だった。そして、経済的にとんでもなく苦しい訳ではなかったが、妹が小学生になったくらいのタイミングで深夜のスーパーの品出しのパートにではじめた。

昼間のパートでも勿論良かっただろう。しかし、それでは父が「家のこともやらないで」ということが目に見えていた。

母は特別家事を怠っていた訳では無い。確かに家は少し散らかっていたし、ご飯は一汁三菜まではなかったし洗濯物が積んであることもあったが、最低限の掃除やご飯の用意はしてくれていたし、父はいつも母がアイロンをかけたシャツを着て仕事に行っていた。

大人になっても思う。散らかり具合は「子育てしてればこんなもん」だと思うし、父は酒を飲むから夜ご飯は基本食べなかったから私たちには調度良い用意だった(確かにレパートリーは多くないが)。

それでも父は「片付けできない」「豚小屋だ」「家事できない」「料理できない」と母を否定することばかり言っていた。

母が始めたこの仕事は、私たち子供2人に習い事をさせたり、母と子とで舞台鑑賞に行ったり、女同士洋服を買いに行ったりすることもあったため、子供に投資するためのパートだ。

昼間は子育て、深夜には仕事をしていたため、
体力的にも精神的にもキツい期間を過ごしていたことだろう。

だから私は、「経済的に自立しなくては」と強く思うようになったのかもしれない。

専業主婦には人権は無いとすら思って育ってきた。
そんなことは無いと頭では理解しながらも、女だからと舐められるな、たとえ子供を1人で育てることになっても不自由させてはならない、経済的に人に頼ってはいけない、と学生時代から謎の焦りを心に秘めていたのだ。

そんな風に焦る必要が無いのも分かっていたし、そんなことを言う男の人も絶滅危惧種だと思ってもいた。

けれど、焦ることは辞められなかった。
これが私の価値観だから。

だから妊娠して仕事を辞めて欲しいと旦那に言われた時はめちゃくちゃ喧嘩した。

結婚して専業主婦にーなんて、喜ぶ同世代の女の子も多いはず。働かなくても養って貰えるなら幸せなはず。

なぜそう思えないのか、すごく苦しかったし恐くなった。

仕事を辞めたら生きていけなくなる、存在価値が無くなる、人権が無くなる、そんな恐怖感から
退職には抗うしか無かった。

でも、結局仕事はやめた。

深夜まで仕事をしていることも多かったし、営業職は移動も多いし体力的にもきついし、旦那を信じられない自分がおかしいんだと自分に言い聞かせて。

それでも仕事を辞めてからの虚無感と
なにか収入を得る手段を手に入れないとという
焦りからはどうしても逃げられなかった。

妊娠期間も、子供が産まれてからも、
焦り続けていたし、子供にイライラしてしまう
ことも多々あった。

勉強したいのに、作業したいのに、
考え事したいのに、セミナー参加したいのに…

色々なことを諦めて、でも諦めきれなくてモヤモヤイライラする日々を過ごした。

収入がなく、生きてるだけで貯金は減る。

そこでオンラインスクールや個別コンサルに
安くないお金を自己投資した。

沢山情報収集をする中で知らなかった世界
を知ることも出来た。

実際に行動してみて、それぞれの
メリットデメリットや合う人合わない人
などの知識や感覚も掴めた。

そして、
「こんなに遠回りでフリーランスを始めた
わたしだからこそ、誰かの力になれることも
あるのでは無いだろうか?」
と思うようになった。

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