24.08.19
自分を安売りするなよ
親の言いつけだった。
別に僕は自分で自分のことを安売りしているつもりはなかった。
しかしながら、少し考えてみれば親は何回か同じような意味合いの言葉を僕に言ってくるような気がする。
これは、決して親のことが嫌になったことになる愚痴ではない。
というよりも、自分に対する戒めを込めて書くものである。
自分の価値は自分でどうやって決められようか。
わかりっこない、その価値に、安売りという文句が当たらない、そう思うときもあった。
ただ、安売りしない、という言葉を、大切にする、という言葉に置き換えれば心底納得する文言に変わる。
自分を大切にしろ。
昨日の朝、アルバイトに出かけるときになんとなくその言葉が引っかかり、帰りの時間を自分に使うことにした。
サウナ施設に行き、身体を整え、特急列車で帰る。
学生の立場からしてみれば、だいぶ贅沢なことをしたが、そんな日もあってよいか。
また一つ良い時間の使い方を、良い心の持ちようを、身に着けた気がする。
旅は道連れ世は情け
多数の旅行が待っている夏休み。
というか、これほど何かを考えなくてよい夏休み、久しぶりである。
学部3年以来と捉えれば3年ぶりであろうか。
昨年はエネルギーこそそこまで割かなかったものの、就活をしていた。
一昨年は学部卒業の発表が8月末にあり、研究に熱を入れていた。
数えて見れば、既に行ったものも含めて旅行6つ、全て国内で1道9県。
国内旅行のハードルが低すぎるあまり、海外に行くことの面倒くささが勝ってしまう。
ただ、これは来年以降社会人になってお金を溜めていけたらよいかな。
先日行った、甲信越を回る旅では、今年初(!)の宿泊を伴ったものであった。
結構旅行しているつもりだった(し、就活の関連で地方に行くこともいくつかあった)が、すべて日帰りでこなしていたことにびっくりしていた。
毎回、旅行一緒に行ってくれる友人(後輩)がいるのだが、彼との関係が本当にありがたい。
アルバイトで毎週のように会って、なんならごはんも行きまくっているので確実に週1で会っている。そのうえに、お互いの趣味が被っていることから旅行にも平均月1くらいで行っているだろうか。どんだけ会っていることやら。
そうなると、正直話すことが尽きる。
ただなぜか、心地いい。特段気を遣う必要がないかもしれない。
僕は相当なおしゃべりなので(自覚済み)、だいたいそういった場面で話し倒すことが相当ある。なんなら彼の前でもそうなっていることが多かったような気がする。
ところが、先日アルバイトを終わっていつものようにごはんを食べに行く(よく彼とは回転ずしに向かう)際に、僕が疲れていたせいもあるだろうが言葉を全然発さずにひたすら寿司を食べていたとき。
お互いに無言の時間もありつつも、ゆっくりとしたテンポで会話が進んでいく、なんなら彼の方から話題が出てきたりする。
珍しかったのもそうだが、何より安心感というか、どういう状態であっても、彼とはいろんな時間を楽しめている感覚を覚えられたことがよかった。
社会人の人間に言われたことが、いま付き合いがある友達をひたすらいま大切にした方がよいということだ、卒業したら本当に会わなくなるということ。
確かに、お互い全然違う場に就職するので会わなくなりそうなのは見えている。
だからこそ、いまの付き合いを大事にしていこうと。
そのためにも、僕が気を遣わないということだけに注目するんではなくて、ちょっとだけ気を遣えば、より良い時間になるのかもなということを思う次第である。
情けはかけてなんぼ、大事にしたいという相手ならなおさら。
生活を大事に(n回目)
8月前半、驚くべきことに、お弁当を作らない週が2週も続いてしまった。
2年も続いた習慣があっという間に断ち切れてしまい、作りたくても面倒くささが勝ってしまう、そして昼ご飯を買いに行く際にお金が消えていく瞬間にささいな虚しさがあった。
なんでそんな状態にあるんだろうということを考えたときに、少なくともそこまで体調が良いわけではないんだろうなと思い、寝る時間を1,2時間増やすように努めた。後は寝落ちしないように、しっかり布団で寝るようにした。(結構寝落ちして机に突っ伏しているときがこのところ多かった)
そうすると、だんだんと回復?してきたみたいで、一昨日あたりからお弁当を作ろうという気になり、今日も既にお弁当をこしらえてからこの日記をまとめている。
身体はどこでエネルギーを消費しているかがわかりづらい。
今回の場合はお弁当を作れないというサインが出たからよかったが、そこで自分の生活を今一度見直してきちんとレストを取ろうという切り替えを持つことも大事であるという初心に戻った。
自分の状態を知ることが自分を大切にする第一歩かもしれない。
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